4.高尾城の戦 | ||||||||||||||
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長享二年(1488)六月六日、一揆勢は大乗寺で軍議を開いた。
洲崎慶覚は兵糧攻めを主張した。
「山城に力攻めは不向き。無理に攻めれば犠牲者を増やすだけだ。それよりも敵の補給路を断って兵糧攻めにしたほうがいい。兵糧がなくなれば、敵は打って出るしかない。そうなれば、数に勝る我々の勝ちだ」
が、光徳寺の乗誓(じょうせい)は力攻めを唱えた。
「長期戦はまずい。その間に国境線が破られないとも限らない。一刻も早く高尾城を落として援軍の目的をなくしてしまったほうがいい。高尾城とは名前だけで、さほど高い山でもない」
そこへ城内の内通者から報告があった。
慶覚はそれを聞くと、前言を撤回した。
「もはや議論の必要はなくなった。敵は明日、大手(おおて。表門)ではなく搦手(からめて。裏門)から奇襲を仕掛けてくる。先手を打って決戦あるのみだ」
蓮綱が聞いた。
「その情報は確かなものか?」
慶覚には自信があった。
「ええ」
「情報源は誰か?」
「山川三河守高藤」
「!」
翌六月七日早朝、一揆勢は富樫軍が攻めてくる前に搦手へ攻め込んだ。
「ワー!ワー!」
「ナンマイダーナンマイダー!」
「みんな成仏させてやるぞ〜!」
今にも搦手から出撃しようとしていた富樫軍は焦った。
「あれ?攻める前に攻めてきた!」
「ばれちゃってたら奇襲にならない〜」
「えーい、どうせ準備万端だ!迎え撃てー!」
富樫軍は打って出た。
本郷春親ら率いる精鋭二千人であった。
「さすがにつえーな」
少し戦った後、慶覚と河合宣久はサッと軍を引かせた。
「押し出せー!」
春親は進撃したが、それはワナであった。
「包み込んで討ち取れー!」
本郷隊は洲崎隊と河合隊に取り囲まれてしまったのである。
春親は暴れた。次々現れる敵に操り人形にように激しく踊らされていた。
「河合、出てこい!勝負しろ!」
出てくるはずもなかった。
春親は疲れた。
「ハアハア、ちょっと休憩〜」
墓石に手をかけて休んでいたところ、
ボスッ!
背中から体当たりを食らった。
なぜか腹から赤い刃先が飛び出していた。
振り返ってみると、敵の雑兵が恐縮していた。
春親は状況を理解した。
「もしかしてだけど〜、それっておいらを刺しってるんじゃないの〜?」
「そーでーす」
雑兵の首は答える前に飛んだ。
仲間の二人の首も宙に交差して舞った。
春親は腹を十文字にかっ切って崩れ落ちた。
この戦闘で本郷春親、高尾若狭守、額丹後守らが戦死した。
出撃した二千人のうち、城へ戻ってきたのはわずか三百人だったという。
政親は嘆いた。
「猛将本郷修理進がやられてはもう終わりだ。六月九日に俺は散る」
彼は妻の巴(ともえ)に勧めた。
「だからお前と娘は城から落ちてくれ。静かに京で暮らせるよう一揆方の乗誓に頼んでおいた」
巴は泣いた。
「嫌です。私はこの城で死にます。姫はあなたが手にかけてください」
結局、政親に説得され、落ちていくことになった。
後に巴は蓮如のライバルとして知られる真宗高田派の首領・真慧(しんね)に嫁いだという。
富樫母娘の助命を受け入れた乗誓は、逆に縁者の助命を請うた。
「城にこもっている槻橋重能(つきはししげよし)殿は私の妻の弟だ。どうか彼も解放してほしい」
政親は承諾したが、重能本人が断った。
「拙者はお屋形さまと命運を共にします」
と、言い張り、乗誓にはこんな歌を送った。
思いきる道ばかりなり武士の命よりなお名こそ惜しけれ
六月九日早朝、洲崎慶覚は城へ呼びかけた。
「間もなく総攻撃を行う!命が欲しい者はこれが最後の機会だ!降参したい者は今のうちにせよっ!」
山川高藤は憤慨した。
「志気をそぐための謀略だ!汚いことをするヤツは私が討ち取ってきてやります!」
高藤は勇んで出撃すると、コロリと態度を変え、ゴロゴロニャーンと降参した。
本折常範(もとおりつねのり)も死にたくなかった。
「よし、私も降参だー!」
ワーワー走って降参しに行ったが、顔が怖かったため攻めてきたと勘違いされ、敵に取り囲まれて討ち取られてしまった。
二人のほかにも降参や逃亡する者は多かった。
「去る者は追わず!共に戦うものは戦え!」
政親は藤島友重(ふじしまともしげ)の太刀を下げ、藤右馬尉(とううまのじょう)の薙刀(なぎなた)をつかんで立ち上がった。
「みなは搦手を守れ!大手は俺一人で十分!」
政親は三度一揆勢を追い返したが、ついに力尽きて城へ戻り、最期の酒宴をした後、小姓の本郷千代松丸(ちよまつまる)に介錯させて切腹した。
享年三十四。以下が辞世という。
五蘊もと空なりければ何ものか借て来ぬらん借て帰さん
[2015年3月末日執筆]
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