1.江差の密談 | ||||||||||||||
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松前道広(まつまえみちひろ)は松前氏第十三代当主にして第九代(八代とも)松前藩主、放蕩(ほうとう)の殿様として知られている(「松前氏系図」参照)。
その夜も江差(えさし。北海道江差町)の遊郭で酒を酌み交わしていた。
江差は松前(福山。同道松前町)や箱館と並ぶ松前三湊の一つであり、ニシン漁の基地として、木材の積出港として、沖の口番所(警察兼税関)と檜山奉行(ひやまぶぎょう。木材管理事務所)が置かれた重要港である。松前藩では米がほとんど取れなかったため、海産物や木材が主な収入源であった。
したがって藩士の給与も米ではなく、場所(アイヌとの取引所。商場)を知行として与えていた。藩士は和人とアイヌの物資の中継、つまり商売をして生計を立てていたのである(商場知行制)。
が、江戸時代中後期になると、藩士に代わって商人が場所を請け負って商売するようになった。商人は藩に運上金(税金)を納め、藩士は藩から給与を受け取るようになったのである(場所請負制)。
この結果、藩も商人も潤ったが、中間搾取の分、アイヌの生活は苦しくなった。
「最近どうだ、商売のほうは?」
「殿様様々で順調でございまする〜」
今夜の道広の酒の相手は、豪商・飛騨屋久兵衛(ひだやきゅうべえ。七代武川益郷)。
絵鞆(エトモ。室蘭市)・厚岸(アッケシ。厚岸町)・霧多布(キイタップ。浜中町)・国後場所に加え、新たに宗谷(ソウヤ。稚内市)場所も任せられた蝦夷地場所請負商人である。
が、実情は反抗的なアイヌも多く、飛騨屋の思い通りの経営はできていなかった。
「何か気になることでもあるのか?」
「いえ、別に」
「先代の借金に未練があるのか?」
松前藩は先代飛騨屋久兵衛(六代武川倍安)に八千両もの借金をしていた。絵鞆・厚岸・霧多布・国後四場所はこれをチャラにする代わりにもらったものなのである。
「いえいえ。あれはもう終わったことですので」
「では、何を気にしている? 蝦夷(アイヌ)との『交易』が思うようにいかぬか?」
「まあ。特に国後の連中が言うことを聞きません。赤蝦夷(ロシア)の影響かは分かりませんが……」
実はこの頃、飛騨屋とアイヌとの間で行われていたことは、「交易」ではなく「強制」「詐欺」「酷使」であった。
飛騨屋は内地から最新鋭の漁具「定置網」を導入し、
「働かぬものは釜茹(かまゆで)にする」
と、脅迫して漁業をさせ、低賃金で奴隷のようにこき使っていたのである。これではアイヌが反発するのも当然であった。
「国後の大酋長ツキノエも反発しているのか?」
「いえいえ。ツキノエは話がわかるジジイでございますが、若いヤツの中に過激な者がいるもので」
「だまらせればいいではないか。 手はいくらでもあるではないか。百姓が減れば米も減るが、蝦夷が減っても海産物や木材が減ることはない。蝦夷地に反抗的な蝦夷はいらぬ。従順な蝦夷だけがいればいいのだ」