2.竹槍作戦

ホーム>バックナンバー2019>令和元年8月号(通算214号)放火味 日本本土空襲2.竹槍作戦

京アニ放火と本土空襲
1.本土空襲
2.竹槍作戦
3.戦争犯罪

 空襲には、女子供や老人病人けが人だらけの一般国民は無力だった。
「鬼畜米英が攻めてきたら、私たちはどうすればいいの?」
「逃げ回るしかないんかい!」
「せめて武器ぐらい持たせろや!」
 推奨されたのは、戦国時代に明智光秀狩りにも使われたアレであった。
「はい、竹槍
(たけやり)〜」
「なんだこれ? これでビー二九をたたき落とせってか?」
「プロペラをねらって突けば、止まって落ちるってか?」
「ダメだ!届くわけないだろ!」
「そうだな。もっと長くしないと」
 長くしても落とせるわけなかった。

 それでも、唯一、竹槍が役に立ちそうな場合があった。
「裏山にビー二九が落ちたそうな!」
 米軍の爆撃機が墜落または不時着した時であった。
「米兵はケガをしているそうな」
「昨晩、この街を火の海にした憎き米兵だな」
「ヤツのせいでうちの子は死んでしまった……」
「父ちゃんも帰ってこなくなってしまった……」
「カタキを取りに行くぜー!」
「米兵は怖いよ」
「ケガをして弱っているんだろ?」
「見に行ってみないと何とも」
「それに、米兵は缶詰を持っているんだよ」
「え! あの、伝説のごちそうを!!」
「チョコやアメも持っているんだってさ」
「食いてー!食いてーよー!」
「でも、米兵が生きていたらどうすんのよ?」
「そんな時こそ、この竹槍が火を噴くのだ」

 米兵狩りは各地で行われたが、有名なのは佐原事件(能崎事件)であろう。
 昭和二十年(1945)六月、空爆帰りのジョン・スキャンラン・ジュニア米陸軍中尉が乗っていたピー五一が、日本軍による必死のパッチで撃墜された。
 スキャンラン中尉はパラシュートで脱出したが、運悪く女子供や老人たち群衆の中に降り立ってしまった。
 不倶戴天のカタキの登場に、群衆は色めきたった。
「ヤツよ! ヤツがあたしんちを燃やしたのよ!」
「兄ちゃんを殺したのはアイツの仲間か!」
「竹槍でも食らえー!」
 ブス!
「オー! ヘルプミー!」
「何言ってんの、こいつ」
「それって英語じゃね?」
「この国では敵性言語は禁止なのよ! おしおきしてやるわ!」
 バシ!バシ!バシ!
「イタイー!トーヨーノマジョ、アンビリバボーヤー!」
 スキャンラン中尉は駆け付けた軍人に縛られてトラックに押し込められ、陸軍第百五十二師団があった佐原国民学校
(後の佐原小。千葉県香取市)に連行された。
「米兵が捕まって学校で見世物にされているんだとよ」
「恨みのある人は、いたぶってもいいんだって」
「恨みのない人なんているわけないでしょ。みんなみんな、米軍のせいで何もかも失った人たちばかりなのよ!」
 そのため、数千人の群衆が校庭に集まり、かわるがわるスキャンラン中尉を暴行したという。
 スキャンラン中尉が意識を失うたびに衛兵兵がカンフル注射を打って復活させたが、やまない暴行によってとうとう復活しなくなってしまったという。
 それでも群衆の怒りは鎮まらず、彼の死体に数時間暴行を続けた後、浄国寺の共同墓地に埋め去ったという。

 戦後、スキャラン中尉の遺骨はアメリカに返還され、アーリントン国立墓地(バージニア州)に改葬された。
 この事件は、横浜BC級戦犯裁判で裁かれ、以下の人々に判決が出た。

  霜田千代士大佐 … 第百五十二師団参謀長 → 懲役40年
  新郷良夫少佐 … 第百五十二師団参謀 → 懲役5年
  酒井興三中尉 → 懲役5年
  高橋一中尉 → 懲役5年
  本宮宇之助中尉 → 懲役5年
  暴行に加わった佐原町民4人 → 懲役1年


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