3.戦争犯罪 | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2019>令和元年8月号(通算214号)放火味 日本本土空襲3.戦争犯罪
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横浜BC級戦犯裁判には理不尽な判決が多い。
「日本人の残虐行為はあった。が、その伏線として米軍による残虐行為があったことを汲み入れていない」
堂々と物言ったのは、『明日への遺言』という映画にもなった岡田資(おかだたすく)陸軍中将である。
岡田が第十三方面軍司令官兼東海軍管区司令官を務めていた昭和二十年(1945)五月十四日、名古屋が大規模に空爆された。
名古屋は何度も空爆され、累計死者数は女子供老人病人など八千人を超えた。
そこで岡田は、撃墜するなどして逮捕した爆撃機の米兵三十八名を、
「ハーグ条約違反の無差別爆撃で一般市民を無慈悲に殺傷した罪」
で、処刑した。
このことが横浜裁判では、
「捕虜虐待や殺人の罪」
として裁かれ、岡田に死刑が求刑されたのである。
岡田は憤った。
「爆撃犯は国際法を犯して大量殺人を行ったのだ! 凶悪犯を死刑に処すのは当然であろう!
裁判は不当だ! 戦勝国は敗戦国にすべての責任をなすりつけている!」
岡田の剣幕に裁判官はたじろいだ。
「理が通っている。オカダは助けるべきだ」
「いや、遺族の怒りはすさまじい。オカダを処刑しなければ収まるまい」
「別にオカダじゃなくてもいいじゃないか。部下が暴走したことにしてソイツを処刑すればすむ」
「そうだな。それで行こう」
この話が岡田に伝わると、彼は抵抗しなくなった。
「悪いのは私だ。すべての責任は私にある。すべての部下は私のために動いてくれただけだ。部下たちに罪はない」
そのため、岡田の死刑が確定した。
「何とかして岡田を助けられないものか」
秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう。昭和天皇の弟)らが助命嘆願に動いたが、岡田本人によって突っぱねられた。
「私の助命より、無差別爆撃の廃止を求めていただきたい。世界民族のために」
昭和二十四年(1949)九月十七日、岡田資は巣鴨(すがも。東京都豊島区)で絞首刑にされた。享年六十。
昭和三十九年(1964)十二月、
「日本の航空自衛隊育成に功績があった」
として、カーチス・ルメイに勲一等旭日大綬章が授けられた。
当然、世論の怒りは沸騰した。
「本土空襲を指揮した大量殺人鬼に勲章とは何事か!」
ルメイも非難は当然と思っていたであろう。
「もし戦争に負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていた。戦争に勝てたのはラッキーだったね」
通常、勲一等の勲章は、天皇が直々に授けるものだという。
しかし、鬼畜外道の前には、昭和天皇のお出ましはなかった。
* * *
過去は変えられない。
未来は変えられる。
新たな戦争は食い止めることができる。
悪は敵ではない。
戦争がありとあらゆる諸悪を生み出すのである。
中東の戦争報道には、何度もデジャビュを見てきた。
現在でもシリアなどでは空爆の下に女子供がいるのである。
官の戦争に、無関係な民が犠牲になっているのである。
アメリカは新たな戦争を起こしてはならない。
日本もホルムズ海峡に自衛隊など派遣してはならない。
絶対に自衛隊員からは、「スキャンラン中尉」を出してはならない。
[2019年7月末日執筆]
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