4.平時忠の迷言 | ||||||||||||||
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平時忠(たいらのときただ)は平安時代の公卿である。
平時信(ときのぶ)の子で、平清盛の妻・時子(ときこ)の弟であり(「高齢味」参照)、平滋子(しげこ。建春門院)の異母兄であった(「桓武平氏系図」参照)。
甥の憲仁親王立太子を画策するなどして二度出雲に流刑にされたがめげず、寿永二年(1183)には権大納言まで昇進している。
その時忠が平氏全盛期に言ったのがこれである。
「この一門にあらざる者は男も女も法師も尼も人非人たるべし」
いわゆる、
「平家であらずんば人にあらず」
である。
栄華を極めた時忠も、文治元年(1185)の壇ノ浦の戦で敗れて生け捕られ、能登へ流されている。