6.土岐頼遠の迷言 | ||||||||||||||
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土岐頼遠(ときよりとお)は南北朝時代の武将である。
美濃守護土岐頼貞(よりさだ。「秘密味」「土岐氏系図」参照)の子で、南朝の花将軍北畠顕家を迎撃した青野ヶ原(あおのがはら。岐阜県関ヶ原町)の戦で名をはせ、兄・頼宗(よりむね。頼清)の死後守護職を継承した。
その頼遠が康永元年(1342)九月に京の樋口東洞院で光厳上皇の行列に遭遇し、「院の行列であるぞ。道を空けよ」と、促された際に言ったのがこれである。
「院と言ったか?犬と言ったか?犬ならば射てくれよう!」
この後、頼遠は本当に光厳上皇の牛車に矢を射かけてしまった。
これが問題となり、頼遠は同年の十二月に六条河原で処刑されてしまうのである。