2.地獄が近い女 | ||||||||||||||
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村に一か所しかない盛り場で、若者たちが話していた。
「この頃、地震多いよなー」
「不気味な揺れだよな」
「なんか、浅間の山の方が揺れてねえ?」
古老が絞り出すような声をはさんだ。
「お山の神様がお怒りになられる前兆なのじゃ〜」
若者たちは吹き出した。吹いたが話は聞いていた。
「あれは天武天皇さまの御代(みよ)のことじゃった。お山の神様が真っ赤に燃えてお怒りになられ、ゴウゴウと火の水を吹き出し、バラバラと石の雨を降らせ、上野や信濃一帯の草木を全部枯らしてしまわれたのじゃ〜。また、鳥羽天皇さまの御代にも同様にお怒りになられ、一瞬にしてここ鎌原一帯を焦土と化し、上野中の田畑を全滅させてしまわれたのじゃ〜。恐ろしや恐ろしや〜」
若者たちはゲラゲラ笑った。
「何、このじいさん。見てきたようにしゃべるな」
「しかも『火の水』ってなんだ?火と水は全く正反対の別物じゃないか」
「一瞬にして鎌原一帯が焦土?国中の田畑が全滅?うへっ!ありえねー話だ」
「本気にするな。かわいそうにじいさん、耄碌(もうろく)してるんだ」
「ウソじゃないんじゃ〜。今に分かる。おぬしらもみな、火の水の中でアプアプおぼれ死ぬのじゃ〜」
「なんだとジジイ!縁起でもねーことばっか抜かしやがって!痛い目にあわせてやろうか!」
「よせよ!」
若者の輪にいた悪い女が止めた。
悪い女は古老をかばった。
「あたいはじいさんの言うこと信じるよ。あたいは神様はいた方がいいと思っている。神様にはかなえてほしい願いがあるからね」
古老は、悪い女の邪心も知らずに微笑んだ。
「神様は信じたほうがええ〜。お山の神様はおぬしのような信心深い者の願いは必ずかなえてくださるのじゃ。よいな。お山の神様がお怒りになられたら、一刻も早く高いところに逃げるのじゃ〜」
若者たちは笑って信じようとしなかった。
「バカと煙は高い所に上るって言うもんな」
「アハハ!相手にするなって」
「ボケ老人はほっとけ」
天明三年(1783)六月、悪い女は地の底からわき上げてくるような、うめき声のようなもので目覚めた。
「何?」
外を見ると、浅間山が真っ赤に燃えていた。
「何あれ!」
異変に気付いた村人たちが集まって騒ぎ始めた。
ばら!ばら!ばららっ!
雨音ではなかった。
砂のようなものも降ってきたのである。
ばらら!ごちんごちん!ばらばら!ごちん!
砂だけではなく、小石も交じっているようであった。
悪い女は、いつか古老が話していたことを思い出した。
『お山の神様が真っ赤に燃えてお怒りになられ、ゴウゴウと火の水を吹き出し、バラバラと石の雨を降らせ、上野や信濃一帯の草木を全部枯らしてしまわれたのじゃ〜』
(ふーん。これがお山の神様の『お怒り』なのね)
野次馬の中には二股男と良い女もいた。
悪い女は神様に祈った。
(お山の神様。どうか良い女に石をぶつけてやってください)
お山の神様は願いをかなえてくれた。
ヒューン!
手頃な大きさの噴石が良い女の方へ飛んできたのである。
(やった!当たるわ!)
無い女は喜んだ。
が、すんでのところで良い女は、
「ひゃっ!」
と、避けて、二股男の胸に倒れこんだ。
「大丈夫?」
二股男は優しく彼女を抱きとめた。
「うん。でも、怖いよ〜」
「怖くなんかないよ。君には無敵の僕がいつ何時でもついているんだから」
「安心〜」
二人がいちゃいちゃしているのを見て、悪い女は袖(そで)をかんだ。
「あのアマァ〜」
悪い女のマグマは、浅間山以上にたぎっていた。
「八つ裂きにしてくれるわあー!!」
その晩の「丑の時参り」は、いつになく激しいものであった。
「死ねー!死ねー!死ねー!」
ドブス!ドブス!ドブス!
悪い女にはパシリがいた。
何かにつけてその男を使っていた。
「ブサイク」
悪い女はその男のことをそう呼んでいた。
彼は鎌原村のブサイクナンバーワンであった。
「何でしょうか?」
ブサイクナンバーワンが、ぬ〜っと近づいてくると、
「ダメ!それ以上は近寄るな!」
悪い女は目をそむけて怒った。
「あたいから半径一間(約一、八メートル)以内に近づくなっていっただろ!気持ち悪い!『結界』は守れよ!」
「す、すみません」
「ちょっと、調べてほしいことがあるんだけど」
「なんでしょうか?悪い女様のおっしゃることなら何でもして差し上げますよっ」
「何でもいいから良い女の弱みを探ってきて」
「かしこまりました」
何日か後、ブサイクナンバーワンが悪い女に復命した。
「必死になって調べましたが、良い女の弱みは何一つ見つかりません。まったくもって完璧(かんぺき)な善人です」
「弱みがない人なんているはずねーだろ!何か一つぐらいはあるでしょーが!たとえば、嫁姑(よめしゅうとめ)問題とか?」
「良い女は姑にかわいがられています」
悪い女おもしろくなかった。
「くっそー!」
弱みがなくては手の打ちようがない。
悪い女にできることといえば「丑の時参り」だけであった。
「死ね!死ね!死ね!」
ブス!ブス!ブス!
「フッ、いいわっ。いつかきっとお山の神様があたいの願いをかなえてくれるんだからっ」