4.鬼嫁の名のもとに | ||||||||||||||
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寿永元年(1182)十一月、牧宗親は徒党を連れて亀の前のいる伏見広綱邸に襲撃に行った。
バンバン!
ドカーン!
バキバキ!ゲームキ!
着くやいなや、いきなり広綱邸を壊し始めた。
「おい!何だ?やめろって!」
広綱が驚いて抗議しても、
ババーン!
バリバリバーバリー!
ズズーン!ズンドコブシーン!
徒党は無言で家を壊し続けた。
奥から亀の前がびっくりして出てきた。
「え!なにこれ?何してんの!?」
徒党は喜んで亀の前をふんづかまえた。
「見ーつけた!」
「キャー!何すんの?いたいいたい!」
宗親は徒党に命じた。
「こいつは天下の不倫女だ。身ぐるみはいで街道でさらし者にしてやれ!」
「やめてー!」
広綱はスキを見て亀の前を助け出して逃亡した。
鐙摺(あぶずり。神奈川県葉山町)まで逃げ、大多和義久(おおたわよしひさ)邸に隠れた。
宗親は頼朝に報告した。
「広綱が亀の前を連れて逃亡しました」
「何だって?どこに?」
「さあ?」
頼朝は亀の前を捜させた。
そして義久邸にいることを突き止めると、宗親らを引き連れて訪ねてきた。
「亀ちゃーん、逢いたかったー」
「ひーん、怖かったよ〜」
頼朝は亀の前と抱き合った後、そこにいた広綱に聞いた。
「亀をいじめたのはお前か?」
広綱は否定しまくった。
「いえいえ!宗親が悪いんです!そいつが私んちをぶっ壊しに来たので、びっくりして逃げ出しただけなんです!」
頼朝は、広綱から宗親に向き直って聞いた。
「お前が愛の巣を壊したのか?」
宗近は否定しなかった。が、黒幕の存在を明かした。
「だから、御台様の御命令で」
頼朝は聞かなかった。
聞いてはならない存在であった。
頼朝はかぶりを振って確認し直した。
「ということは、広綱の家を壊したお前が一番悪いんだな?」
宗親は納得できなかった。
「ですから、拙者は、御台様の御命令で」
「うるせー!お前が一番悪いんだよー!」
頼朝は抜刀した。
ちゅぱ!
ワサッ!
宗親の髻(もとどり)が地に落ちた。
武士として恥ずべきことであった。
宗親は泣きべそになった。
「理不尽です!なんで拙者がこんな目にぃ〜?」
頼朝は亀の前を連れ帰ると、小忠太光家邸でかこった。
寿永元年(1182)十二月、北条政子の怒りは収まらず、独断で伏見広綱を遠江に流刑にした。
広綱もまた、納得できるものではなかった。
「うーん、私は何か悪いことしましたっけ?」
とばっちりの多い夫婦げんかであった。
[2016年2月末日執筆]
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