173.不倫味 基礎用語集

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鎌倉(かまくら)
 現在の神奈川県鎌倉市。源頼朝が幕府を開いて政治の中心となる。1333幕府は滅亡するが、室町時代には鎌倉府が置かれ、東国支配の中心となった。

鎌倉幕府(かまくらばくふ)
 (1185?-1333) 鎌倉時代の武家政権。源頼朝が鎌倉に1180侍所・1184公文所(政所)・問注所を創設、1185守護・地頭の設置によりほぼ組織は完成し、1192の征夷大将軍就任によって正式に発足した。1219三代将軍源実朝(さねとも)の暗殺・公暁(くぎょう)殺害によって源氏が滅亡してからは、外戚の北条(ほうじょう)氏が幕政を掌握し、本家の得宗を中心として代々執権(しっけん)を選出、末期には内管領・長崎氏が専横するが、1333新田義貞(にったよしさだ)に鎌倉を攻略されて滅亡した。 

征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)≦将軍
 もとは蝦夷(えぞ・えみし)を討伐するための朝廷の軍事長官。後に武家政権の最高指導者の称号。奈良時代の征夷大使(せいいたいし)・征東(せいとう)大使・征夷将軍などの後身。最初の征夷大将軍は、794に任じられた大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)らしいが、有名なのは坂上田村呂(さかのうえのたむらまろ。797任命)と文室綿麻呂(ふんやのわたまろ。811任命)と源義仲(みなもとのよしなか。1184任命)。1192源頼朝(みなもとのよりとも)が就任して幕府を開いてからは世襲となった。将軍味

武士(ぶし)=侍(さむらい)=武者(むしゃ)
 武芸をおさめて軍事にたずさわった者。

北条時政(ほうじょうときまさ)
 (1138-1215) 武将。鎌倉幕府初代執権(在職1203-1205)。伊豆の豪族・時方(ときかた)の子。政子(まさこ)・義時(よしとき)らの父。1180娘婿・源頼朝(みなもとのよりとも)の挙兵に参加し、1185平氏滅亡後は京都守護に就任、1189奥州征伐に従い、頼朝が没して頼家(よりいえ)が将軍になると、十三人の合議制に列席、1203比企能員(ひきよしかず)を討ち、頼家(よりいえ)を追放(翌年殺害か)、実朝(さねとも)を将軍にして政所(まんどころ)別当となり、1205畠山重忠(はたけやましげただ)を殺すが、後妻の娘婿・平賀朝雅(ひらがともまさ)を将軍にしようとしたため、政子・義時らに追放された。
排除味

北条政子(ほうじょうまさこ)
 (1157-1225) 尼(あま)将軍。二位尼。源頼朝(みなもとのよりとも)の妻。北条時政(ほうじょうときまさ)の娘。北条義時(よしとき)らの姉。源頼家(よりいえ)・実朝(さねとも)らの母。頼朝死後、父や弟とともに幕政を主導、1203将軍頼家を廃して比企能員(ひきよしかず)を討ち、実朝を擁立してこれを補佐、1205父を追放し、1219実朝横死後は都から摂家将軍・藤原頼経(ふじわらのよりつね)を招聘(しょうへい)、1221承久(じょうきゅう)の乱では御家人たちを鼓舞して幕府に勝利をもたらせた。不倫味 排除味 栄光味3

源頼家(みなもとのよりいえ)←源万寿(みなもとのまんじゅ)
 (1182-1204) 武将。鎌倉幕府二代将軍(在職1202-1203)。頼朝(よりとも)の子。実朝(さねとも)の兄。母は北条政子(ほうじょうまさこ)。父の死後に家督を継いで将軍となったが、北条時政(ときまさ)など有力御家人に実権を奪われ(十三人の合議制)、1203巻き返しをはかるも失敗、妻の父・比企能員(ひきよしかず)と息子・一幡(いちまん)は殺され、自身も失脚して伊豆修禅寺(しゅぜんじ)に幽閉され(比企能員の乱)、1204時政に殺されたという。
栄光味

源頼朝(みなもとのよりとも)
 (1147-1199) 武将。鎌倉幕府初代将軍(在職1192-1199)。父は源義朝(よしとも)。1159平治(へいじ)の乱で父とともに平清盛(たいらのきよもり)らと戦って敗れ、1160捕われて伊豆へ流刑、1180以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ)を受けて伊豆で挙兵、石橋山(いしばしやま)の戦で大庭景親(おおばかげちか)に敗れるが立て直し、富士川(ふじかわ)の戦で平維盛(これもり)を撃退、鎌倉(かまくら)を本拠に軍事政権を築き(後の鎌倉幕府)、侍所(さむらいどころ)・1184公文所(くもんじょ。後の政所)・問注所(もんちゅうじょ)を設置、1185平氏を滅ぼし、諸国の守護(しゅご)・地頭(じとう)任命権と兵粮米(ひょうろうまい)の徴収を許され、1189奥州(おうしゅう)藤原氏を倒し、1190右近衛大将(うこのえたいしょう)・1192征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に就任した。不倫味 
排除味

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