3.ごちそうさまの虎

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法を守る国は戦争には勝てず
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3.ごちそうさまの虎

 私が生涯を振り返っている間に、すでに私の身体はほぼ完食されていた。
 ペロペロペロ。
 ゲップゥ〜。
『あー、食べた食べた』
『あんまりおいしくなかったけど』
『一口目はおいしかったんだけどな。かむたびにどんどんまずくなっていった』
『腹の足しになればどうだっていいや』
『僕はまだ満腹じゃない』
『そうだそうだ。骨と皮ばっかで食べるところがあんまりなかった』
『あー、やせこけたジジイじゃなくて、もっと若くて太ったゴハンが食べてーよー』
 ぶうたれる子虎たちを、ワダがしかった。
『こら、食べ物に感謝しなさい!あたしらは大切な命を、他の生物から分けてもらっているのよっ』

 私は吹き出してしまった。
 ここで私に疑問が生じた。
(あれ?どうして私は虎に食べられちまったのに、笑うことができるのか?)
 そうである。
 私は虎に食われて死んだのではなかったのであろう。
 私の死因については、虎害説よりも、マラリアなど熱病説が有力である。
 虎たちは熱病でうなされていた私の夢の中に登場したのかも知れない。

 私は六十七歳で貞観七年(865)に死んだとされているが、訃報(ふほう)日本にもたらされたのは元慶五年(881)である。
「真如さまが羅越
(らえつ)で亡くなられていたそうな」
 羅越は現在のマレー半島南部にあった国である。
 マレーシアのジョホールバルに私の供養塔があるという。

 その後長い間、私の存在は忘れられていた。
 が、明治時代になって、私の存在は発掘された。
 東南アジア進出を目論む日本軍が、
「インドシナ進出の先駆者!」
 として、アユタヤ朝高官・山田長政
(やまだながまさ)とともに祭り上げたのであろう。
 皮肉なものである。
 どうして進んで虎にも食われた不戦論者の私が、よりによって戦争に利用されなければならないのか?
 あるいは、有力だった虎害説を熱病説にひっくり返したのは、戦意高揚をねらった日本軍かもしれない。
「高岳親王殿下は戦わずして虎に食われたのではない!悲運にも熱病で亡くなられたのだ!殿下の逝去は、インドへ進撃する途中の名誉ある死なのだ!」

[2015年6月末日執筆]
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