1.ども!

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福沢諭吉 PROFILE
【生没年】 1834-1901
【別 名】 中村諭吉
【出 身】 大坂堂島豊前中津藩蔵屋敷
(大阪市福島区)
【本 拠】 大坂堂島(大阪市福島区)
→豊前中津(大分県中津市)
→長崎(長崎県長崎市)
→大坂適塾(大阪市東区)
→江戸築地中津藩中屋敷(東京都中央区)
→江戸芝(東京都港区)
【職 業】 武士・学者
【役 職】 適塾塾長・東京府会議員
・東京学士院初代会長
【 父 】 福沢百助(豊前中津藩士)
【 母 】 橋本順(橋本浜右衛門の娘)
【叔 父】 中村術平
【兄 弟】 福沢三之助ら5人
【 妻 】 土岐錦(土岐太郎八の娘)
【 子 】 福沢一太郎・捨次郎ら4男5女
【女 婿】 福沢桃介(房子の夫)ら
【 師 】 緒方洪庵ら
【著 作】 『西洋事情』『学問のすゝめ』
『文明論之概略』『福翁自伝』『』など
【墓 地】 常光寺(東京都品川区)
→善福寺(東京都港区)
飲酒運転・飲酒乱行
1.ども!
2.だー! 
3.……。

 ども! 諭吉です!
 今では万札の顔になり、大人気の福沢諭吉です。
 そうです。『学問のすゝめ』や慶応義塾でも有名ですね。
 ちなみに慶応義塾にはボクシング部はありません。
 KO。
 なーんちゃって!
 ホントはあるかないか知りませーん。なにせ私はもうだいぶ前に死んでますからー。

 はーい。軽くスベッたところで、私の酒の醜態を御紹介しましょう。
 実はいっぱいあるんですよー。
 なにせ私は天性の酒好きですからー。少年時代からチビチビやってましたからー。ホントですって! 私の著書『福翁自伝
(ふくおうじでん)』見ちゃってくださいよー。びっくりしますよー。
「え! これ、ホントに、あの福沢さんのお話!? 別の福沢さんちゃうの?」
 それくらいおバカですよー。
 まあ、マジなときはマジなんで、ここまでに成り上がったんです。なんせ「偉人」ってよばれてますからね。ぶへ!「人参」ちゃうで。ハッハッハ!

 そう。あれはまだ私が大坂緒方塾の塾長だった頃のお話です。
 緒方塾、知ってます?
 知ってまっしゃろ! 適塾適々斎塾! 幕末の蘭学者・緒方洪庵先生が開いた熱血塾でんがな! 教科書にも載ってまんがな! 超有名でっせ。ま、私の知名度ほどでもありませんがね。ハッハッハ!

 その頃、私は緒方塾に下宿していました。
 始め通学してたんですが、面倒になって住み着いちゃったんですなー。
 で、すんごいお利口さんだったんで、書生から塾長に昇り詰めちゃったんです。

 塾は非常に開放的でした。
 夏はみんな全裸でした。いわゆるスッポンポンでした。なにしろ大坂の夏は格別ですからー。
 ただ、みんなで集まる時、つまり飯を食う時と講義・集会時にはさすがに羽織る程度に着物を着ました。もちろん、下女たちがそばにいる時も、やむを得ず着ました。人間というものには、羞恥心
(しゅうちしん)があるもんなんですなー。

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