4.ささやかな復讐

ホーム>バックナンバー2018>4.ささやかな復讐

平成時代終幕へ
1.終わりの始まり
2.さらば友よ
3.殺人犯は帝?
4.ささやかな復讐

 朕は長い余生を過ごしました。
 天暦三年(949)九月二十日に八十二歳で崩じるまで、実に六十五年も隠居していたことになります。
 こんなに長く隠居生活をした人は、後世捜してもほとんどいないのではないでしょうか?

 藤原基経が死んだのは、寛平三年(891)正月のことです。
「死んだか」
 天敵の死に、うれしさはありませんでした。
 それよりうれしかったのは、あの大学者が朕のところに取材に来たことです。
「史書を編修しますので、生き証人であられる陽成院の御証言をうかがいたいのですが」
 大学者とは、菅原道真でした。
 朕は聞きました。
「ほう。特に聞きたい話とかは、あるかな?」
「もちろん、院の廃位の一件を」
「ほほっ!」
 朕は笑いました。
 笑いながら涙があふれてきました。
 道真は言ってくれました。
「歴史は真実を伝えるものです。勝者の歴史だけでは信頼性がありません。敗者の証言にこそ、真実が隠されているものと存じます」
 朕は廃位事件の真相を語りました。
 道真は、私の証言だけではなく、多くの関係者の証言や史料をかんがみて原稿を書き上げました。
 書き上げると、それを見せに来てくれました。
「この記事が、『日本三代実録』に収められます」
 読みながら朕は感涙にむせびました。
「これで、基経にねじ曲げられた朕の汚名返上は成るんだね?」
「成ります!」
「ううっ、ありがとう!道真よ!」

 しかし、朕の汚名返上は成りませんでした。
 道真が『三代実録』完成前に、昌泰の変で失脚してしまったからです
(「受験味」参照)
 彼は大宰府
(福岡県太宰府市)に流された二年後、配所で無念の死を遂げました。
 そのため、廃位事件の真相は、基経の子・藤原時平によって再びねじ曲げられてしまいました。
「おのれ許さんぞ!」
 朕は激怒しました。
「朕はともかく、朕のために戦ってくれた道真を、こんなひどい目にあわせた連中を許さないっ!」

 朕は闇の戦いを開始しました。
 反時平派を扇動して「道真の怨霊」を作り上げ、ありとあらゆる嫌がらせを繰り返したのです。
 結果、道真の名誉は回復しました。
 朕の死後の話ですが、道真には正暦四年(994)に正一位太政大臣が贈られました。

 一方、朕の名誉はいまだ回復していません。
 それでも、朕はうれしいのです。
 いつの間にか道真が、たたりの神から学問の神様に変わり、多くの人々に慕われるようになったことが――。
 朕のささやかな復讐は、成功したといえるでしょう。

[2018年1月末日執筆]
ゆかりの地の地図
参考文献はコチラ

※ 清和源氏の祖・源経基は、清和天皇の孫ではなく、陽成天皇の孫だった可能性があります。

inserted by FC2 system