2.犬も歩けば矢に当たる | ||||||||||||||
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一方、吾輩の主人・捕鳥部万は、難波(なにわ。大阪市中央区)にあった物部守屋の別邸を百人ほどで守っていたが、
「守屋様戦死ー!物部軍壊滅ー!」
の、報を聞いて軍を解散させ、独り茅渟県(ちぬのあがた)有真香邑(ありまかのむら。大阪府岸和田市)の山中に潜伏した。
「おまえは逃げろ」
主人は吾輩にも促したが、
「くう〜ん〜ん」
と、嫌がったため、
「なら、ついてこい!」
と、同行を許可され、
「わいーん!わいーん!」
はしゃいでついていったのである。
朝廷は主人の潜伏を許さなかった。
蘇我馬子は厳命した。
「捕鳥部万は名うての猛将だ。放っておけば、いつか必ず再び朝廷に弓を引いてくる。山中に独りで潜伏している今のうちに殺してしまえ!」
馬子は兵数百人を有真香邑に差し向けた。
「ワン!ワン!」
吾輩は迫りくる殺気に向かって吠(ほ)え立てた。
主人が吾輩を抱き寄せた。
「お別れだ。私は殺される。おまえだけは逃げろ」
「へやん〜、へやん〜」
吾輩は嫌がった。
「私と一緒にいれば、おまえも殺されるんだぞ!」
どかっ!
主人は吾輩を突き放した。
「死にたくないだろ!おまえだけは生き延びるんだ!」
吾輩は戻ってきた。
ばこっ!
「きゃん!きゃん!」
ばし!びしっ!
「きゃうーん!きゃうーん!」
主人にたたかれても蹴られても、何度も何度も戻ってきた。
吾輩にとって、生きるか死ぬかは問題ではなかった。
主人と一緒にいられるか、いられないかが問題だったのである。
主人は分かってくれた。
「ならば私の最期を見届けよ」
「ワンワン!」
吾輩は喜んだ。
主人は竹やぶに隠れた。
弓矢を手に取ると、戦士の顔になった。
「私は存分に戦う!おまえは敵が来る方来る方、吠えて知らせよっ!」
「わん!」
主人は竹やぶに細工をしておいた。
いくつかの竹に縄をくくりつけておき、それらを時々引っ張ってガサガサ音を立てて揺らすことによって、どこに潜んでいるのか分かりにくくしたのである。
ガサガサ、ガサガサ。
案の定、敵は引っかかった。
「あの竹が揺れている!あそこに万が隠れているぞ!」
「押しかけて討ち取れー!」
「ワーワー!」
「あれ?いねえじゃねえか」
「おかしいな?音がしたのに〜」
ひゅんひゅん!
「うわ!矢だけ飛んできた!」
ひゅんひゅんひゅん!
ぷす!ぷす!
「いてえ!だまされた〜!」
主人もがんばったが、吾輩もがんばった。
敵が潜んでいる方潜んでいる方を暴いて吠え立てた。
「わん!」
「そこか!」
それにしたがって主人は弓を引き絞った。
ひゅん!
ブス!
「うえ!見つかっちまった〜」
「わん!わん!」
ひゅん!ひゅん!
ブス!ブス!
「う!」
「やられた〜」
「わん!わん!わん!」
ひゅん!ひゅん! ひゅん!
ドブス!ドブス!チョ〜ドブス!
「いたっ!」
「なんでわかったの〜?」
「ゲッ!この傷はやべーよ〜!」
主人の矢はおもしろいほど敵に当たった。
たちまち三十人余りが主人の矢の前に倒れた。
しかし主人もまた大量の矢を浴びていた。
特にひざに刺さった矢が、かなり深手であった。
「もはやこれまでだ……」
主人は苦痛のあまり意識を失いかけた。
「よくぞ私の最期を見届けた……。敵が近づいてくる……。今度こそ、おまえは逃げるんだ……」
主人は剣を抜いて弓をたたきこわすと、その剣もへし折って川へ投げ捨てた。
それから短刀を抜くと、
「さらばだ」
と、言い残し、首を切って血しぶき上げて突っ伏した。
「ワンワン!」
吾輩は呼んだ。
「アオーン!アオーン!」
主人が返ってくるように大声でわめいた。
でも、もう主人は動かなかった。
戻ってくる気配は皆無であった。
吾輩は悲しみの遠吠えをした。
「わおわおーん!おん!おん!」
敵が近づいてきた。
主人に遺体に気づいて立ち止まった。
「死んだか」
「首を斬れ!」
「うう〜!」
吾輩は主人の遺体の前でうなった。
「どけ!なんだこの犬は?たたき斬るぞ!」
「ううう〜、ワンワンワン!」
敵に脅されてもうなって吠え立てた。
でも、
ぷさ!
すねを射られたため、
「キャン!キャン!アヒ〜ン!」
痛くていったん山へ退散した。