★ 虎視眈々!功敗垂成?絶対に避けられない勝負! 〜 奈良時代のクーデター未遂!橘奈良麻呂の変!! |
||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2009>WBC決勝戦イチローvs林昌勇(イムチャンヨン)
|
平成二十一年(2009)三月二十三日(日本時間二十四日)、侍ジャイアンツ――、もとい、侍ジャパン(原辰徳監督)は、ドジャースタジアム(米ロサンゼルス)で行われた第二回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)決勝戦において、宿敵韓国を延長十回五対三で破り、見事に連覇を成し遂げた。
それにしても、すさまじい決勝戦であった。
「この戦いだけは絶対に勝つ!」
日韓両国の選ばれし益荒男(ますらお)たちのハガネの意地が、はるかアメリカからも電波を通してビリビリと伝わってきた。私はもう何千試合も野球の試合を観てきたが、あれほど闘志むき出しの、バチバチ火花飛び散る壮絶な意地の張り合いは、いまだかつて観た記憶がない。
試合展開は白熱のシーソーゲーム、鬼気迫る好投好打好走好守の連続に、両軍ベンチが一挙一動に一喜一憂し、子供のように無邪気に歓喜絶叫喝采(かっさい)悲鳴慟哭(どうこく)地団太踏んでいるサマを見て、私はとてつもなくうれしかった。
「コイツら、スゲーよー!」
「竜虎相搏(う)つ」とは、まさしく彼らのためにある言葉であろう。こういった平和的なスポーツ戦争は大歓迎である。物騒な意地を張り続ける北朝鮮当局にも見せ付けてやりたいものだ。
九回ウラに同点に追いつかれたときは、もうダメかと思った。
流れは完全に韓国に移っていた。ダルビッシュ有(ゆう)投手がすんでのところで踏ん張ったが、追いつかれての延長戦は気分的に不利である。
十回表、一死二・三塁の時、原監督は動いた。切り札ともいえる川崎宗則(かわさきむねのり)選手を代打に送った。犠牲フライで先に一点でも取っておけば、日本は逆に韓国を追い詰めることができた。
私は期待した。
(彼なら打ってくれるだろう。今までだって、こういうときには彼は打ってくれた)
が、川崎は内野フライに倒れた。
(ああ!なんてこった!原采配が外れた〜!)
これまではうまくいっていたのに、肝心なときの失敗に私は嫌な予感がした。チャンスをつぶした後には必ずといっていいほどピンチがやって来るものである。サヨナラ負けという最悪のシナリオが私の脳裏をよぎった。
二死二・三塁。続く打者は今大会不振のイチロー選手である。
ここで韓国の金寅植(キム・インシク)監督はイチローを敬遠しようとしたというが、林昌勇(イム・チャンヨン)投手は真っ向勝負に出た。
林は東京ヤクルトスワローズの守護神である。
つまり「日本のメシ」を食べている身である。別に悪いことではないが、そのことで彼は後ろめたさを感じていたのかもしれない。
「お前は日本で活躍しているから、日本に対する闘志が薄いんじゃないか?」
韓国ナインに疑いの目で見られていたとしてもおかしくはない。もちろん、彼らはそれを口にはしなかったであろうが、無言の重圧のようなものを林は感じていたかもしれない。
(オレだって、みんなの気持ちと変わらない!)
林がそれを証明するためには、日本打線を抑え続けるしかなかった。
中でもイチローは侍ジャパンの象徴である。これを打ち取ることこそ最高の証明なのだと彼は信じていたのではあるまいか?
昨季日本で三十三セーブを上げているという自信もあったであろう。イチローが不振なこともあったであろう。とにかく、林の意地が真っ向勝負に向かわせたと思われる。そして、最終的には彼の思いを金監督も容認したのである(TBSの特番によれば、イチローを打ち取りたいがために、投手コーチが敬遠のサインを林に送っていなかったという)。
ところが、イチローも似たような立場であった。彼は「アメリカのメシ」を食べながら、侍ジャパンの主将格であった。そのためここまでの不振には、他の選手以上にふがいなさを感じていたに違いない。
(このままでは終われない。絶対に終われるはずがない!)
そうである。イチローには侍としての意地があったのである。
林のソレをも上回る、誇り高き侍魂があったのである。
カキーン!
ファールで粘った末、ついにイチローが前へ飛ばした打球は、快音をとどろかせてセンター前へ落ちていった。
イチローは決しておいしいところを持っていったのではない。
林昌勇は金監督の思惑を無視したわけではない。
イチローvs林昌勇は起こるべくして起こり、決して避けられるはずのない真剣勝負だったのである。
あるいは、もっと深く考えれば、イチローはこの時のために、すべてはこの最高の刻(とき)だけのために、あえて不振だったのかもしれない。
いずれにせよ、イチローはすごい侍である。
そして、彼をそうさせたのは、彼に味方したすべてのすごい侍たちであり、彼に敵対したすべてのすごい猛者たちであろう!
翌日、この決勝戦について、各者は絶賛した。
「ドジャースタジアム史上最も心に残る十回であった(ロサンゼルス紙)」
「日本と韓国は本物の大試合を展開した(米ESPN)」
「両チームの質を証明するかのように、想像できる限り最も緊迫した試合の一つになった(キューバ・カストロ前議長)」
* * *
というわけで今回は奈良時代の避けられざる意地の対決「橘奈良麻呂の変」を用意いたしました。
つまり「辞任味」の続編です。
[2009年3月末日執筆]
参考文献はコチラ
【橘奈良麻呂】たちばなのならまろ。参議。諸兄の子。
【吉備真備】きびのまきび。大宰大弐。諸兄の元政治顧問。
【小野東人】おののあずまひと。前備前守。奈良麻呂の盟友。
【大伴古麻呂】おおとものこまろ。左大弁→鎮守将軍。奈良麻呂の盟友。
【多治比犢養】たじひのうしかい。奈良麻呂の盟友。
【道祖親王(道祖王)】ふなどしんのう(ふなどおう)。皇太子→廃太子。奈良麻呂の盟主の一。
【黄文王】きぶみおう。長屋王の子。奈良麻呂の盟主の一。
【安宿王】あすかべおう。長屋王の子。奈良麻呂の盟主の一。
【山背王(藤原弟貞)】やましろおう(ふじわらのおとさだ)。長屋王の子。
【藤原豊成】ふじわらのとよなり。右大臣。仲麻呂の兄。政界首班。
【藤原永手】ふじわらのながて。中務卿。仲麻呂の義兄。
【文室智努(浄三)】ふんやのちぬ(きよみ)。摂津大夫。
【大伴家持】おおとものやかもち。兵部少輔→兵部大輔。
【鴨角足(賀茂角足)】かものつのたり。紫微大弼・左兵衛率。表向きの仲麻呂側近。
【巨勢堺麻呂】こせのせきまろ・さかいまろ。仲麻呂の側近。
【葛木戸主】かずらき・かつらぎのへぬし。紫微少弼。仲麻呂の側近。
【上道斐太都】かみつみちのひたつ。中衛舎人。
【とびっきりの美女女官数人】
【とびっきりの美少年数人】
【藤原光明子】ふじわらのこうみょうし。皇太后。聖武天皇皇后。
【孝謙(称徳)天皇】こうけん(しょうとく)てんのう。伝46・48代女帝。
【大炊親王(淳仁天皇)】おおいしんのう(じゅんにんてんのう)。伝47代天皇。
【藤原袁比良】ふじわらのえひら。仲麻呂の妻。永手の妹。
【藤原仲麻呂】ふじわらのなかまろ。大納言兼紫微令→紫微内相。