4.決行の日

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WBC決勝戦イチローvs林昌勇
1.皇太子すげ替え
2.吉備真備の戦略
3.藤原仲麻呂紫微内相
4.決行の日
5.橘奈良麻呂の変

 天平勝宝九歳(757)七月二日早朝、藤原仲麻呂孝謙天皇に爆弾発言をした。
「今夜、橘奈良麻呂が田村宮に来ます」
「え?何しに?」
「襲撃に」
「!」
「田村宮は炎上し、私は殺され、陛下や皇太子殿下は廃されるのです」
「!!!」
 孝謙天皇はうろたえた。ジタバタした。いとしの大炊親王に抱きついた。
「あたし怖い〜」
「おー、よしよし」

 知らせを聞いて藤原光明子が駆けつけてきた。
 仲麻呂はジメジメ光明子を責めた。
「皇太后陛下のお慈悲が、奈良麻呂をここまで横暴にし、もはや制御不能の怪物に育て上げたのです!」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!すぐに群臣を集めなさい!」
「集めてどうなされるので?」
「謀反を起こさないように説得するに決まっているじゃないですか!」
「ふふん。通用しないと思いますが、牽制
(けんせい)にはなりますよね」

 孝謙天皇は詔(みことのり)した。
「最近、諸王・臣下の中に田村宮を襲撃しようとたくらんでいる者たちがいるという。朕は信じたくはないので今まで処罰しなかったが、何人もの人が同じことを重ねて奏上するため、捨て置くことはできなくなった。身に覚えのある者は、そのような愚かなことをしてはならぬ。これが最後の警告である。つまらぬ犯罪者として処罰され、栄光の先祖の名を辱めてはならぬ」
 また、光明子も藤原豊成以下の群臣を集めて詔した。
「なんじらはみな我が近親者である。大伴・佐伯氏の人々も同族であり、古来、天皇家に仕えてきた側近たちである。先帝
(聖武天皇)が亡くなり、みなで力を合わせなければならないこのときに、このような醜きことを考えていいはずがない。疑われるのはなんじらが悪いのですよ。どうか改心し、これからは清き明るき心でもって朝廷に仕えてほしい」

 奈良麻呂は同志の多治比犢養(たじひのうしかい)を見つけて塀(へい)の裏に引き込んだ。
「どうやら密告者があったようだ」
「まずいですね」
「とにかく今夜は中止だ。バレバレでは奇襲にならない」
「でも、小野東人なんかがギリギリまで味方をかき集めていますよ」
「味方は集めておいたほうがいい。いつか必ずやることはやる」

 当時の諸官庁は正午で閉庁である。
 帰途に着こうとした官人たちに、東人らは誘いを掛けていた。
 そこへ通りかかったのは大物の兵部大輔大伴家持
「あ、家持様!いい話があるんですがね〜。ちょっと聞いてくださいませんか?」
「謀反のことだろ?」
 東人はあわてて周りを見回した。
「シーッ!シーッ!ビックリしたなーも〜、大きな声はやめてくださいって〜。古麻呂殿や池主
(いけぬし)殿を初め、大伴氏の人々も大勢謀反に加担しているんですよ〜。家持様も、どーっすか?」
 一説に古麻呂は家持の子とも伝えられているが、年代的に不自然である。宿奈麻呂
(すくなまろ)の子か、御行(みゆき)の子とみられる(「大伴氏系図」参照)
「断る。私には邪心も逆心もない。古麻呂らにも逆に思いとどまるように説得しているところだ。あんたも抜けたほうがいいぞ。今朝の皇太后陛下と天皇陛下の詔を拝聴したであろう?謀反の計画はすでに仲麻呂には筒抜けよ」
「いいえ、仲麻呂は強がっているだけですよ。我々は勝ちます。武門の棟梁
(とうりょう)ともいえるあなた様を引き入れれば、なおさら完全勝利は間違いありません。ぜひぜひ!」
「分からないやつだな。おれは加わらないのっ!しつこいと仲麻呂のところへ引っ立てるぞっ!」
 家持は振り切って去っていった。
 東人は舌打ちした。
「チッ!何が武門の棟梁だ。意気地のねえクソおいぼれがっ」

 東人が次なる標的を探した。
 と、何かを捜している中年男を見つけた。
「オッサン、どうした?」
 オッサンは上道斐太都
(かみつみちのひたつ)という下級官人であった。
「いえその、帰りに市で買い食いしようと思ったんですが、銭を落としてしまいまして捜しているんですよ〜。この辺に財布落ちてませんでしたか?」
「それは知らないが、銭ならおれがやろう。ほれ」
 東人がズシャッと銭束を手渡した。
 斐太都は喜んだ。
「うわっ!こんなにたくさん!ちょっと〜、見知らぬお方から、こんなもの受け取るわけにはいきませんて〜」
 斐太都、そう言いながら満面の笑みで懐に銭束をしまった。
 東人が吹き出して聞いた。
「見たところ武官らしいが?」
「ええ。中衛舎人
(ちゅうえのとねり。天皇親衛隊員)です」
「そうか。それはいい。今夜おれたちは田村宮を襲撃するが、どうだ?一味にならないか?」
「え……」
 斐太都は気づいた。
「今朝の詔って、あなた方のことでしたか……?」
「そういうことだ。どうなんだ?おれたちに加われば、おれたちの親分からもっとたくさんの銭がもらえるぞ」
「親分って?」
「まあ、首謀者は橘奈良麻呂と大伴古麻呂だが、黄文王・安宿王・塩焼王・道祖王ら諸王を盟主に立てている。ほかにも多治比犢養や大伴池主・多治比国人
(くにひと)・多治比礼麻呂(いやまろ)・多治比鷹主(たかぬし)・佐伯全成(さえきのまたなり)など、たくさんの同志がいるぞ」
「へ!そんなにも!」
「ああ。内緒だが、仲麻呂の某側近も裏切って味方についた」
「ひえ!そんなら謀反は成功しちゃうじゃないですか〜」
「当たり前だ。だから今のうちにこうしてみんなを勧誘しているんだ。少しでも多くの人が不幸にならないようにな」
「でも、なんたって謀反ですよ〜。謀反は好きじゃないな〜」
「誰だって謀反は好きじゃない。でも、銭は好きなはずだ。あんたもそうだろう?」
「ええ。大好きです!」
「じゃあ、謀反が嫌いなのと、銭が好きなのと、オッサンはどっちの感情のほうが強い?」
「うーん、そういわれると、やっぱり銭ですね。ウフッ」
「そうだろう!この世で一番大切なものはカネと正義なんだ!忠義じゃない!忠義なんてものは後からとってつけたものだ!人というものはカネのため正義のために時には忠義を犠牲にしなければならないときもあるんだよ!今がそのときなんだよ!おれたちは自分のカネのために、仲麻呂に虐げられている人民のために、今こそ立ち上がらなければならないんだよ!オッサンはこれが悪いことと思うか?」
「いいえ全然。なんか納得です」
「そうだろう!それでこそ男だ!男というものは、弱きを助け、強きをくじくものだ!か弱き自分や庶民のために生きるものなんだ!驕慢
(きょうまん)な女帝や傲慢(ごうまん)な権力者のために生きるものではなーい!」
 人が通り過ぎそうだったので、東人は斐太都を柳の木の陰に連れ込んで続けた。
「いいか。計画は二つある。一つは奈良麻呂を将として精兵四百人で田村宮を包囲すること。もう一つは鎮守将軍として東国へ向かっている大伴古麻呂による不破関の封鎖だ。――わかるな。オッサンには田村宮攻撃に参加してもらうことにする」
「そ、そーっすか。――で、私は具体的に何をすれば?」
「決行は今夜だ。田村宮の前に現地集合だ。なるべくたくさんの武器を持参し、仲間を大勢連れてきてくれるとありがたい。そのほうがオッサンの報酬も大だ」
「えへへ。楽しみだなー。では、さっそく夜に向けて用意してきますねっ」
「ああ、頼むぞ」
「がってんでさー。親分によろしく〜」

 斐太都は東人と別れた。
 東人の姿が見えなくなると、とたん走り出した。
 彼はすぐにこのことを上司に知らせに行ったのである。
 彼の上司とは、ほかならぬ仲麻呂であった。実は仲麻呂は中衛大将も兼任しているため、中衛舎人の斐太都にとっては最高上司なのであった。
「たっ、たったっ、大変です〜!」
 斐太都は東人が言っていたことをそのまま仲麻呂に伝えた。
「でかした」
 仲麻呂は昼間っから大炊親王と乳繰り合っていた孝謙天皇に伝えた。
 孝謙天皇はオロオロした。
仲麻呂、どうすればいいの?」
「ここは私にお任せください」
 仲麻呂はただちに宮中諸門を閉じさせると、高麗福信らに小野東人や答本忠節らを逮捕させ、左衛士府に禁固させた。また、別に兵を遣わして道祖王宅を包囲した。

「ついにやりよったか……」
 まゆをひそめて言ったのは、東人ら逮捕の報を受けた藤原豊成。
 豊成は田村宮に駆けつけると、孝謙天皇に進言した。
「陛下。まだ奈良麻呂が反乱を起こすと決まったわけではありません。事を荒立てれば、急進派の若者たちの制止がつかなくなります。ここはまず、道祖王宅に差し向けた兵だけでも引くべきです」
 孝謙天皇は聞かなかった。
「ならぬ!国家にたてついた者は、死刑か島流しじゃ!」
「まだたてついてはおりませぬ!」
 仲麻呂が豊成をなだめた。
「何。明日になれば東人らがベラベラしゃべって事の真相は明らかになるでしょう。まあ、兄貴は黙って見ていなさい。明日、東人らの尋問には中納言藤原永手を遣わしますから」
 永手が仲麻呂の言いなりであることは豊成も知っていた。
「そうか。では、私も永手に同行して尋問に付き合おう」
「そうですか。それは御苦労な」
 仲麻呂は笑い、あえて止めなかった。

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