2.高野聖 | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2021>令和三年5月号(通算235号)貨幣味 三十帖冊子事件2.高野聖
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僕は坊さんになった。
空海の甥(おい)・真然の弟子になり、無空と名乗り、高野山の奥之院を守護した(「引籠味」参照)。
金剛峰寺の第二代座主に就き、権律師に昇った。
お香のきついおばさんも喜んでくれた。
「高野山の首位なんて、僧とはいえ橘氏の出世頭じゃあ〜りませんか」
お香のきついおばさんとは、宇多天皇の女御・橘義子。
ちなみに宇多天皇は出家して宇多法皇となり、仁和寺(にんなじ。京都市右京区)で猫や女とまみれて楽しく暮らしていた(「受験味」等参照)。
「いえ、僕なんてまだまだですよ」
「まだ高望みしますか? やめたほうがいいですよ。藤原北家の方々が黙ってませんからね」
義子の父・橘広相は、阿衡の紛議でひどい目にあっていた(「スト味」参照)。
「大丈夫です。僕は名誉は求めません。銭を求めるだけです」
「へー、銭を貯めて何をしますか?」
「井手寺に五重塔を建てます」
義子は感涙した。
「それでこそ、橘氏の出世頭ね。でも、銭はどうやって稼ぐんですか?」
「僕には秘策があります」
僕はお金持ち宅を訪れた。
お金持ち宅とは参議(後に左大臣)・藤原仲平邸――。
仲平は、故左大臣・藤原時平の弟で、大納言(後に関白太政大臣)・藤原忠平の兄である(「朦朧味」「藤原北家系図」参照)。
「ごめんくさい」
「何ですか?」
「あ、こりゃまたくさい」
「失礼ですね」
資人(しじん。舎人)がうさん臭がった。
「あのさ、僕さ、どっこいさ」
「誰なんだ君は?」
「高野聖で〜す」
「あー、托鉢詐欺(たくはつさぎ)ですね? おめえに食わせるメシはねえ! シッシッ!」
「やだなー、モノホンもモノホン。私、金剛峰寺の座主をなさっております〜」
「え! まさかまさかの座主さま!? しっ、失礼いたしました〜」
座主と聞いて仲平が千鳥足で琵琶を弾きながら出てきた。
「これはこれは権律師殿。ひっく!」
「君たちがいて僕がいる。初めての初対面ですな」
「ふざけるのはもういいですから、本題をどうぞ。祈祷(きとう)を頼んだ覚えはありませんぞ。ハッハー!」
「兄君の死因が気になりますかな?」
時平は延喜九年(909)四月に狂い死んでいた。
仲平は急に神妙な顔つきになった。
「何しろ、菅家(菅原道真)の怨霊にたたり殺されたと言われているからな(「入試味」参照)」
「次は、あなたさまの番だと?」
「そ、そうなのか? おれは菅家をいじめた覚えはないぞ」
「加害者ではなくても、傍観者ですからねぇ〜」
「……」
「はいはい! 怖い怖いたたりの不安も一発解消! 本日は最強のたたりよけ商品を、特別にお客さまだけに紹介いたします!」
「どんな商品だ?」
僕は弟子たちに商品を広げさせました。
「これが真言宗秘宝中の秘宝『三十八帖冊子(さっし。策子)』です」
うち三十帖が『三十帖冊子(策子)』として仁和寺に現存している。
僕は説明を続けた。
「開祖さま空海が唐から将来した経典を帝(嵯峨天皇)に献上する前に、自らや弟子たちに複写させた日本最強、唯一無二の魔除け商品です。これさえ手元に置いておけば、たたりはおろか、疫病災害事故事件などにも襲われることはありません」
「ほう、いくらだ?」
「一万貫です」
「いっ、いっっ、一万貫っっっ!!」
「なーに、命を奪われることに比べたら、お安い買い物でしょ〜う?」
「うぐぐ……」
「しかも今なら特典として、この世だけではなく、あの世での極楽往生も保証しますよ」
「どういうことだ?」
「僕はその一万貫で井手寺に五重塔を建てるつもりです。そうすると、銭を出したあなたさまにも功徳が回ってきて極楽往生できるようになるのです」
「なるほど」
「どうなさいます? 仏に魂を売ってみませんか?」
「俺は死にたくない。極楽往生もしてみたい。よし、買った!買ってやるぜー!」
「お買い上げ、ありがとうございます〜」
仲平は一万貫を即金で用意させた。
銭を数えている時に、僕は仲平に頼んだ。
「ただし、冊子をお持ちのことは誰にも内緒にしてください」
「なぜだ?」
「秘すれば法力は倍増します」
「さもありなん」