3.何処へ | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2021>令和三年5月号(通算235号)貨幣味 三十帖冊子事件3.何処へ
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真言宗秘宝中の秘宝『三十八帖冊子(後世の三十帖冊子)』は、もとは東寺(とうじ。教王護国寺。京都市南区)に納められていた。
それを貞観十八年(876)に僕の師(真然)が金剛峰寺に移してしまった。
金剛峰寺の権威を高めるためであろう。
「返しなさい!」
おもしろくない東寺長者四世・真雅は返却を願ったが、
「嫌だね」
師は返そうとはしなかった。
「返せやコラ!」
次の東寺長者五世・宗叡も請求したが、師は断り続けた。病で倒れても弟子たちに遺言した。
「この冊子だけは絶対に東寺の連中に渡してはならぬ。これがある限り、高野山は東寺より格上であり続けるのだ。この寺の座主が空海さまの正当な後継者であり続けるのだ」
結果、師の死後は兄弟子の寿長(じゅちょう)が、その死後は僕が冊子を引き継いだ。
しかし、東寺の連中も黙ってはいなかった。
「冊子を取り戻すにはどうしたらいいか?」
「もはや強硬手段しかありませんよ!」
「高野山を襲撃せよ!」
東寺長者九世・観賢の手の者たちが、僕の留守をねらって冊子を奪い取りに来たのである。
その時は弟子たちが守りきったが、以後は僕は出かける際には常に冊子を持ち歩くようになった。
すると今度は、僕たちそのものが盗賊に襲われるようになった。
「これではとても冊子を守り切ることはできない」
身の危険を感じた僕は、内緒で冊子を売り払ってしまうことにした。
こうすれば、冊子のありかも隠せるし、得た銭で橘一族の念願をかなえられると思ったからである。
仲平に冊子を売り払った僕は、弟子たちとともに高野山を出て井手寺に入った。
が、そこにも観賢の魔の手が迫ってきたため、伊賀の蓮台寺(れんだいじ。三重県伊賀市)に隠れた。
そうしているうちに僕は病に倒れてしまった。
弟子たちは困った。
「いずれここも観賢に突き止められますよ」
「今度はどこに逃げればいいんですか?」
「師に万一のことがあったらどうするんですか!?」
「冊子なんかもう返しちゃいましょう! 命のほうが大切ですよ!」
「その冊子はどこにあるんだ?」
「さあ?」
僕は病をおして蓮台寺を抜け出して近江の比叡山(滋賀県大津市・京都市境)に向かった。
「敵の敵は味方だ。東寺に対抗するには、天台宗を頼るしかない」
しかし、病身の僕に登山は無理であった。
山中で行き倒れてしまった。
(こんなところで死んではダメだ……)
うなされていた僕を、
「どうしました?」
助け起こしてくれた僧がいた。
中年で、延暦寺で何か役のある僧に違いなかった。
僕はその僧にかけてみることにした。
「天井裏に銭を隠してある……。その銭で井手寺に五重塔を……」
「え?」
僕は経緯を話した。
その僧は親身になって聞いてくれた。
「僕の命はもう終わりだ……。どうかその銭で、僕の一生の願いを、橘一族の願いをかなえてほしい……」
「うけたまわりました。必ずや願いをかなえて差し上げあげましょう」
「ありがとうございます。最期にあなたのお名前を聞いておきたい」
「尊意(そんい)と申しますが」