◆ 子捨て山 | ||||||||||||||
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『播磨国風土記』に、姫路の地名の由来がある。
昔々、大国主神(おおくにぬしのかみ。「神々系図」「二股味」参照)と火明命(ほあかりのみこと)という親子の神様がいた。
大国主神は、乱暴な火明命の家庭内暴力に悩んでいた。
「このままではいけない」
大国主神はひそかに息子を捨てる計画を立てた。
ある日、親子は播磨の因達山(いだてやま)に登った。現在の姫路市北方にある山々のどれかであろう。
御存知と思うが、親子は出雲の神様なので、ずいぶん遠くまで登山にやって来たものだ。
そう。わざと遠くまでやって来たのだ。息子を捨てるために。
その日、火明命はいつになく上機嫌だった。
「楽しいなっ!」
普段の乱暴さは少しも感じられなかった。
途中、のどが渇いたので、大国主神が火明命に竹筒を渡して頼んだ。
「ちょっと、川を見つけて水を汲んできてくれ」
「分かった」
火明命は素直に川を探しに行った。
(しめしめ)
大国主神はほくそ笑んだ。実はこれが彼の計画だったのだ。
大国主神は大急ぎで山を下りると、手早く船に荷物を積んで乗り込んだ。息子を置き去りにするために。
ところが、火明命は意外に早く川を見つけ、水を汲んで帰ってきた。
「汲んできたよ。あれ?」
待っているはずの父の姿はなかった。
その代わり、はるか山下の海辺で、今まさにこぎ出でようとしている父を見つけた。
火明命は怒った。
「クソオヤジ〜! 待て〜!」
怒り狂って本性をあらわした。何しろ神様である。神通力を持っている。
火明命は海辺に風を起こさせた。嵐である。波は高くなり、船は揺れ、とても船を出せる状況ではなくなってしまった。
大国主神がせっかく積み込んだ荷物も残らず陸に吹き戻された。
そのため、浜辺にはたくさんの荷物の山ができた。それらが時をへて姫路周辺の山や丘に変化したのだという。
荷物でできた山丘のうち、蚕が落ちたところにできた丘を日女道丘(ひめじのおか)と呼ぶようになった。蚕のことを昔は「ヒメ」とか「ヒメコ」と呼んでいたからだそうである。これが現在、姫路城のある丘、姫山なのだという。