1.刑部姫vs豊臣秀吉 | ||||||||||||||
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昔々、日女道丘(ひめじのおか)に刑部姫(おさかべひめ。長壁姫)という姫がいた。別名を富姫(とみひめ)ともいった(または二人の姫がいたともいう)。
刑部姫 PROFILE | |
【生没年】 | ?-? |
【別 名】 | 長壁姫・富姫 |
【出 身】 | 播磨国(兵庫県) |
【本 拠】 | 日女道丘(兵庫県姫路市) |
【職 業】 | 神・妖怪? |
【友 人】 | 大国主神 |
【霊 地】 | 刑部(長壁)神社(姫路市) |
あるとき、刑部姫は大国主神を食事に誘った。自宅のある日女道丘で手料理を御馳走したのだという。
けれども、大国主神はそれっきり来なくなってしまった(よほどまずかったのであろう)。
彼女は失意の果てに亡くなり、日女道丘の地主神、刑部明神(みょうじん)になった。
時は流れ、南北朝時代になると、日女道丘に異変が起こった。
物騒な城が建ってしまったのである。
城を建てたのは、播磨守護・赤松貞範(あかまつさだのり)という武将だった。
「なんてこと!」
刑部姫は怒った。でも、貞範は自分を崇拝してくれたので、許してやった。
その後、城主は、赤松氏家臣・小寺氏(こでらし)、小寺氏家臣・黒田氏(くろだし)に変わったが、彼らもみな崇拝してくれたので、彼女はおとなしくしていた。
ところが、戦国時代末期にとんでもないヤツがやって来た。
御存知、羽柴秀吉である。秀吉は姫路城を改築するとき、刑部明神の祠(ほこら)があるのを見て、家臣にのけるように命じた。
「これ、じゃま」
こうして祠は、ふもとにある射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)に移された。
「なんてこと!」
刑部姫は怒った。彼女は祠には入らず、秀吉の築いた三層の天守閣に居座ってやった。そして時々、城主秀吉に取りついてやった。色々な悪さもしてやった。
霊感鋭い家臣から、
「肩になんかついてますよ」
と、言われても、秀吉はそういうことには無頓着だった。
「何が? フケか?」