2.刑部姫vs宮本武蔵 | ||||||||||||||
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羽柴秀吉が大坂城に移った後、秀吉の義兄・木下家定(きのしたいえさだ)が姫路城主になった(「変節味」参照)。
家定は、秀吉の正室・おね(高台院・ねね・寧子・吉子とも)の兄である。彼は秀吉とは違って、そういうことを気にする人だった。
「天守閣に刑部姫とかいう妖怪がいるそうだな?」
家臣たちも否定しなかった。
「私は女の化け物を見ました」
「いや、キツネのようでしたよ」
「いえいえ。鬼のような巨人で、ときどき人を食いよるそうで」
家定は気味悪がった。
「おまえたちの中でだれか妖怪を退治できるものはいないのか?」
「あ、あいつなら」
家臣の一人が思い出し、汚らしいむさくるしい青年を連れてきた。その当時、たまたま木下家に仕えていた剣豪・宮本武蔵(みやもとむさし。「対立味・五輪味」参照)である。
「やってくれぬか?」
腕のためし時である。武蔵が断るはずがなかった。
「たやすきこと」
ある晩、武蔵は刑部姫退治のため、天守閣に登った。コツコツと足音が近づいてくる。
「あたしを退治するんだって」
刑部姫はケラケラ笑った。
武蔵には笑い声は聞こえても、姿は見えないはずだ。
それにしてもさすがは武蔵である。不気味な笑い声にも動じず、平然とこちらに近づいてくる。眼光すさまじく、闇の中でも目から火花をバチンバチン散らしている。殺気と体臭もすさまじい。武蔵は生涯で一度も風呂に入ったことがなかったと伝えられている。
「こわっ」
刑部姫もゾッとした。
でも、すぐにいいことを思いついた。先手を打ったのだ。
「武蔵ちゃん」
親しげに呼んでやった。ボワンと十二単の美女の姿で登場してやった。
武蔵はびっくりしていた。どんなにおどろおどろしい化け物かと思っていたら、あまりに美しすぎる乙女ではないか。
「あげる」
刑部姫は武蔵に刀を手渡した。
ズシリと重いそれを手にして、武蔵は打ち震えた。銘を見て狂喜した。
「おお! これは、伝説の名工・郷義弘(ごうのよしひろ)の名刀!」
郷義弘とは、かの岡崎正宗の一番弟子とされる越中の刀工である。
当時から義弘の評価はずば抜けて高く、その作品は、大名など一部の特権階級しか手に入れることが不可能な、刀剣の中の刀剣、超一流ブランド品だった。
「ほほほっ!」
興奮して刀を抜き、目を輝かせ、刀身をなめるように鑑賞していた武蔵に、刑部姫が言った。
「それをあげるから、おとなしく帰りなさい。私は姫路城の守護神、刑部明神の化身です。いいですね。みんなには妖怪はそちを恐れて逃亡したと伝えなさい」
「はい。了解しました! 逃亡しました! ありがとうございましたっ!」
思わぬところで至上の名刀を手にした武蔵、喜んで御礼まで言って帰っていった。
「存外かわいいぼうや」
刑部姫は武蔵の買収に成功したわけである。
その後の武蔵、逃げるように姫路を後にし、武者修行の旅に出たという。