2.出世運動

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自民党圧勝政権は改革をするのか?
1.青雲の要路
2.出世運動
3.大願成就
4.独裁者降誕
5.貧民を救え!
6.こんな改革は嫌だ!
7.日本を守れ!
8.ああ、失脚……。
     

 倹約家の水野忠邦も、出世するためにはカネと労力を惜しまなかった。
 時は大御所時代。
 江戸幕府十一代将軍徳川家斉が気楽で豪勢なハーレム生活を堪能する下、庶民たちも爛熟
(らんじゅく)退廃しきった化政(かせい)バブルに浮かれて遊びまくっていた時代である。
「人生なんて、なるようになるさー」
「明日の苦労より今日の快楽!」
「仕事より娯楽だ。バカらし!  遊べ! 遊べ!」
「オロシヤ
(ロシア)が攻めてくるかもしれないんだってさー」
「オロシヤはどっから来た?」
「北から来たー」
「ブハハハ!」

 忠邦は、籠(かご)の外から聞こえてくる庶民の声に舌打ちした。
「バカどもめが! このような緊急事態のときに、何をこんなに浮かれていられるんだ? カツだ! カツだ! みんな余がカツを入れてやるっ! そうしなければ、この国は滅びる! 外国に滅ぼされてしまう! 余がそれを阻止しなければならない! 押しのけてでもすかしても何が何でも出世して、この国を立て直し、固守しなければならないのだー!」

 時の老中の中に、親戚筋の水野忠成(ただあきら。駿河沼津藩主)がいた。
 奏者番から寺社奉行若年寄側用人を経て老中になり、まもなく老中首座になる、忠邦のお手本のような政治家である。
 忠成は将軍家斉にも信頼されていた。
 家斉は生涯頭痛持ちであったが、忠成はただ一人それを治すことができる秘術を持っていたため、絶大な信任を得ていた。

「よし。忠成殿にゴマをすろう!」
 忠邦は忠成に取り入った。
 とっておきのお土産を持参して、頭を下げてお願いした。
「どうかこれで私を国替えさせてください!」
 忠成は、いわゆるワイロが大好物であった。
 何しろ寛政の改革を否定する文政
(ぶんせい)の改革を断行し、田沼時代再興をもくろんでいる金満政治の申し子である。
 忠成はブツを横目で見ながら言った。
「ほう。若いのに殊勝な心がけじゃのう。が、なぜ国替えを望む?」
「私は唐津藩主です。唐津藩主は佐賀藩主と共に代々長崎の警備を任せられています。つまり、この役目が多忙なため、中央政界での出世は望めなくなっているのです! どうか私を他の藩主と国替えさせてください! 出世させてください! 私は政治がやりたいんです!」
「政治はカネがかかるぞ。時にはこのように入っても来るがな」
「私はカネが欲しいわけではありません! 改革がしたいのです! カネなんて土地なんて、いつでもいくらでも差し上げます!」
 忠成はホクホク笑った。
「いくらカネを積んでも、お前に力量がなければどうしようもない。わしがしてやれることは、お前に機会を与えてやることだけじゃ。あとはお前の力量次第じゃ」
「ありがとうございます!」
「こちらこそ。どーもケッコーなものを」

 文化十四年(1817)九月、忠邦寺社奉行に就任、同月、肥前唐津から遠江浜松(はままつ。静岡県浜松市)への国替えとなった。
 忠邦は歓喜した。
「やったー! 青雲の要路が開けたのだー!」
 が、家老・二本松義廉は喜ばなかった。
「何が青雲の要路ですか。唐津から浜松まで引っ越すだけで、いったいいくらかかかるとお思いですか? 倹約令を発している最中に、こんなカネのかかる国替えなど、お断りなされよ!」
「何。これで出世ができるのだ。背に腹はかえられない」
「若! 唐津も浜松も同じ六万石とはいえ、唐津の内高
(うちだか。実際の石高)は二十万石ですぞ! 大幅な減封ではありませぬか!」
「この国替えは余にとって絶好の好機なのだ! 余が国政に参与できるか否か、生涯の分かれ道なのだ!」
「違いまする! 若は老中にだまされておるのじゃ! 今までいったいいくらの運動費を工面したとお思いですか? どれほど多くの労力を費やしたとお思いですか? これっぽっちの御褒美では全く分が合いませぬ!」
 忠邦は激怒した。
「余は、主君の出世を妨げる不忠者はいらぬ! 出て行けっ! 余はやるといったらやるのだっ! たとえジイが反対してもやるのだっ!」
 二本松はあきらめた。さめざめと涙を流した。
「主君に不忠者呼ばわりされるは、痛恨の極みでございまする……」
 そして、家に帰って切腹してしまった。

 忠邦は泣いた。二本松の遺体を前に絶叫した。
「わからずやめっ! 余は藩など小さいもののためではない! この国を救うために、守るために、意地でも絶対に出世しなければならないのだ! 余以外にこの日本を守ることができる者は、誰一人としていないのだー!」

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