2.出世運動 | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2005>2.出世運動
|
倹約家の水野忠邦も、出世するためにはカネと労力を惜しまなかった。
時は大御所時代。
江戸幕府十一代将軍・徳川家斉が気楽で豪勢なハーレム生活を堪能する下、庶民たちも爛熟(らんじゅく)退廃しきった化政(かせい)バブルに浮かれて遊びまくっていた時代である。
「人生なんて、なるようになるさー」
「明日の苦労より今日の快楽!」
「仕事より娯楽だ。バカらし!
遊べ!
遊べ!」
「オロシヤ(ロシア)が攻めてくるかもしれないんだってさー」
「オロシヤはどっから来た?」
「北から来たー」
「ブハハハ!」
忠邦は、籠(かご)の外から聞こえてくる庶民の声に舌打ちした。
「バカどもめが! このような緊急事態のときに、何をこんなに浮かれていられるんだ?
カツだ! カツだ! みんな余がカツを入れてやるっ! そうしなければ、この国は滅びる!
外国に滅ぼされてしまう! 余がそれを阻止しなければならない! 押しのけてでもすかしても何が何でも出世して、この国を立て直し、固守しなければならないのだー!」
時の老中の中に、親戚筋の水野忠成(ただあきら。駿河沼津藩主)がいた。
奏者番から寺社奉行・若年寄・側用人を経て老中になり、まもなく老中首座になる、忠邦のお手本のような政治家である。
忠成は将軍家斉にも信頼されていた。
家斉は生涯頭痛持ちであったが、忠成はただ一人それを治すことができる秘術を持っていたため、絶大な信任を得ていた。
「よし。忠成殿にゴマをすろう!」
忠邦は忠成に取り入った。
とっておきのお土産を持参して、頭を下げてお願いした。
「どうかこれで私を国替えさせてください!」
忠成は、いわゆるワイロが大好物であった。
何しろ寛政の改革を否定する文政(ぶんせい)の改革を断行し、田沼時代再興をもくろんでいる金満政治の申し子である。
忠成はブツを横目で見ながら言った。
「ほう。若いのに殊勝な心がけじゃのう。が、なぜ国替えを望む?」
「私は唐津藩主です。唐津藩主は佐賀藩主と共に代々長崎の警備を任せられています。つまり、この役目が多忙なため、中央政界での出世は望めなくなっているのです! どうか私を他の藩主と国替えさせてください! 出世させてください! 私は政治がやりたいんです!」
「政治はカネがかかるぞ。時にはこのように入っても来るがな」
「私はカネが欲しいわけではありません! 改革がしたいのです! カネなんて土地なんて、いつでもいくらでも差し上げます!」
忠成はホクホク笑った。
「いくらカネを積んでも、お前に力量がなければどうしようもない。わしがしてやれることは、お前に機会を与えてやることだけじゃ。あとはお前の力量次第じゃ」
「ありがとうございます!」
「こちらこそ。どーもケッコーなものを」
文化十四年(1817)九月、忠邦は寺社奉行に就任、同月、肥前唐津から遠江浜松(はままつ。静岡県浜松市)への国替えとなった。
忠邦は歓喜した。
「やったー!
青雲の要路が開けたのだー!」
が、家老・二本松義廉は喜ばなかった。
「何が青雲の要路ですか。唐津から浜松まで引っ越すだけで、いったいいくらかかかるとお思いですか?
倹約令を発している最中に、こんなカネのかかる国替えなど、お断りなされよ!」
「何。これで出世ができるのだ。背に腹はかえられない」
「若! 唐津も浜松も同じ六万石とはいえ、唐津の内高(うちだか。実際の石高)は二十万石ですぞ! 大幅な減封ではありませぬか!」
「この国替えは余にとって絶好の好機なのだ! 余が国政に参与できるか否か、生涯の分かれ道なのだ!」
「違いまする! 若は老中にだまされておるのじゃ! 今までいったいいくらの運動費を工面したとお思いですか? どれほど多くの労力を費やしたとお思いですか? これっぽっちの御褒美では全く分が合いませぬ!」
忠邦は激怒した。
「余は、主君の出世を妨げる不忠者はいらぬ! 出て行けっ! 余はやるといったらやるのだっ!
たとえジイが反対してもやるのだっ!」
二本松はあきらめた。さめざめと涙を流した。
「主君に不忠者呼ばわりされるは、痛恨の極みでございまする……」
そして、家に帰って切腹してしまった。
忠邦は泣いた。二本松の遺体を前に絶叫した。
「わからずやめっ! 余は藩など小さいもののためではない! この国を救うために、守るために、意地でも絶対に出世しなければならないのだ! 余以外にこの日本を守ることができる者は、誰一人としていないのだー!」