2.ああ、遊んじまった | ||||||||||||||
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明治十九年(1886)十月二十三日、英国貨物船ノルマントン号は神戸を目指して横浜を出航した。
船長はイギリス人のドレーク(J.W.Drake)。乗員乗客は約六十名であった。
乗員にはイギリス人とドイツ人のほか、清国人とインド人の火夫(機関員)がいた。
乗客は全員日本人で、二十五名(一説に二十三名)であった。
その中には女も四人おり、子供もいた。
また、病人もいた。
なんでも巡査をしていたが、病気になって故郷の高知に帰るのだという。
船内では、結構みんな和気藹々(わきあいあい)であった。
日本語の解る人懐っこいイギリス人水夫がやって来て、私はそいつとトランプをして遊んだ。
ややこしいルールの遊びはよく知らなかったので、単純な数字並べをした。
女子供が興味ありげに近寄ってきた。
しまいには輪になって、一緒になって楽しく遊んだ。
そばで横になっていた病人が笑った。
「なんか、あなたたちは、ずっと昔からの友みたいだな」
私もイギリス人水夫も女子供も笑った。
私はイギリス人水夫に聞いた。
「友って、英語でなんていうんだ?」
「フレンドだ」
「フレンドか。私たちって、フレンドか?」
イギリス人水夫はうなずいた。
「ああ、フレンドだ」
当時、私の周囲ではイギリス人を悪くいう人がいた。
「イギリス人に気を許すな。ヤツらは日本を征服しに来たんだぞ」
私はその人のいうことを信じていないわけではなかったが、こう考えていた。
世の中には、いい人と悪い人がいる。
○○人がいいとか、××人が悪いとかは一概にはいえないものだ。日本人にもいい人と悪い人がいるように、イギリス人もいい人と悪い人がいる。清国人やインド人なども同じだ。イギリス人を悪く言う人は、たまたま悪いイギリス人を見てしまったからそう言うのだろうと――。
私はこうも考えていた。
もっといえば、いい人の中にも善の心と悪の心があり、悪い人の中にも悪の心と善の心がある。
そして、善と悪は絶えず常に鎬(しのぎ)を削っているのだと――。
今、私の目の前にいるイギリス人水夫は、明らかに善のイギリス人であった。
が、まもなく私は、こいつに悪魔を見ることになるのである。