3.ああ、沈んじまった | ||||||||||||||
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十月二十四日午後八時頃、ノルマントン号が紀伊半島(和歌山県)沖に差し掛かった時のことである。
船体が大きく揺れ始めた。
「嵐か?」
「このへんはいつもそうだ」
ゴン!
何やら船底で変な音がした。
船員たちが騒いだ。
「どうした?座礁したか!」
「いえ、動けます!」
「ならいいが」
「よくありません!船底に穴が開きました!」
「何だと!どこかに寄港せよ!」
「そんな島は見当たりません!」
「なんてこった!」
船員たちは英語でバタついているので、私たち日本人乗客には何がなんやらさっぱり分からない。
「どうしたんだろう?」
私は一緒に遊んでいたイギリス人水夫に聞いてみたが、彼は話の内容を聞いていなかったようで、何も気にしてなかった。
「ケンカか何かだろ。よくあることだよ」
メリメリメリメリ!
何やら船底のほうで気持ち悪い音がした。
「何だ?」
これにはさすがにみんな不安になった。
その時、今までになく船体が大きく傾いた。
「うわー!」
トランプは飛ばされ、私もイギリス人水夫も病人も女子供も船室の壁にしたたかに打ちつけられた。
これまでなら傾いても元に戻ったのであるが、どういうわけか今度は傾いたままである。
「どうしたんだー?」
船内のランプが消えてしまったことが、私たちの不安をますます増させた。
「うわっ!冷たっ!」
「水が入ってきたぞー」
「沈むんちゃうんか、コレ!乗員は説明しろー!」
船内の日本人乗客はパニックになった。
イギリス人など外国人乗員の多くは、すでに船内にはいなかった。
船外の明かりが彼らであった。
彼らはいち早く救命ボートで海へ避難していたのである。船長のドレークなんかは、先頭に立って逃亡船員たちを指揮していた。
「なんて無責任なヤツラだ」
私は怒りがこみ上げてきた。
今の今まで一緒に遊んでいたイギリス人水夫も、私や病人や女子供を置き去りにして、とっととイギリス人だけを乗せた救命ボートに乗り込んで逃げようとしていた。
「お前もか!」
私ははいずり追って、今まさに漕(こ)ぎ出そうとしていたそのボートのへりにつかまって懇願した。
「私たちも乗せてくれ!」
するとイギリス人水夫は、私に冷たく言った。
「ダメなんだ。これは船員用の救命ボートだ。貨物船には普通は乗客は乗せないから、乗客用のボートはない。日本人は船内で待ってな」
「そんなことしてたら、沈んじまうじゃないかー!」
私はへりにしがみついた。
するとイギリス人たちは、みんなして私をめちゃくちゃにたたいた。
「手を放せー! 揺らすなー!」
「コノ、ブタヤロウ!」
「ブチコロスゾ!」
「いやだー!どの道、置いてかれたら死ぬんだーっ!」
ボコボコ!
「コレデモカ! コレデモカ!」
「シネ、コノヤロー!」
私は痛さにたまらず手を放した。そして、ボロボロになりながら、イギリス人水夫に哀れみを乞うた。
「私たちは、フレンドじゃなかったのか?」
イギリス人水夫はとぼけた。
「はいぃ〜〜?」
私は悔しかった。悲しかった。歯を食いしばって、声を荒げてわめいた。
「だったら私はいい!せめて、女子供や病人だけでも連れて行けーっ!!」
「フン、ヤナッコタ!」
「バイバイ、ジャップ!」
イギリス人水夫たちはバカ笑いすると、強引にボートを漕ぎ出して行ってしまった。
船体はみるみる沈み、私は身一つで何とか甲板の上にはい出した。
すでに外へ出ておぼれている男たちもいたが、非力な病人と女子供は、船内からはい出ることもできなかった。
「助けてー!」
「上れないよー!」
私は何とか彼らを引っ張り上げようとしたが、何かに挟まっているようで、どうしても上がらない。
病人は私に言った。
「おれたちはもうダメだ。せめて、あなただけでも逃げてくれ!」
「いやだー! そんなことしたら、私もアイツらと同じじゃねーかぁー!」
「あなたは同じではない! あなたはアイツらと違って努力した! 何とかおれたちを助けようとしたじゃないか!
絶対に同じじゃない! だからこそ、あなたを巻き添えにしたくない! 行ってくれー!」
「いやだー!」
「行けぇぇー!!」
ザブーン!
大波が来て、船室は完全に沈没した。
「うおーん!」
私は泣いた。
ドバーン!
甲板から投げ出された私は、真っ暗闇(くらやみ)の中、時折冷たい海水をかぶりながら、正体不明の漂流物にかろうじてつかまっていた。
しばらくして、急に私の周りが明るくなった。
救命ボートが一隻、私の前を通りかかったのである。
「ヘイ!」
ボートと明かりの主は、私に手を差しのべてきた。
それは、さっきとは違うイギリス人であった。
それは、船長のドレークであった。
私はうれしかった。
「助けてくれるのか?」
私にはドレークが天使のように見えた。
「やはり船長だけあって、ほかの水夫とは違う……」
私は必死でその手に手を伸ばした。
が、ドレークは伸ばしてきた私の手をはたきやがった。
で、再び手を出し、計算高い憎ったらしい顔をして、こう要求してきたのである。
「マネー!」
私は奈落の底に突き落とされた。
悲しくて、情けなくて、絶望の淵で震え泣いた。
高波の間から、煮えくり返る腹の底から、血泡を飛ばして絶叫した。
「そんなもん……、この状況で……、この状態で……、どうやって出せっていうんだぁぁぁーーー!!!」
ドレークは去っていた。
私はというと、冷酷が支配する理不尽極まりないこの世の中から去ってやった。
* * *
この事故で日本人乗客二十五名は全員水死した。
清国人・インド人火夫十五名も死亡したが、イギリス人やドイツ人船員たちは全員ボートで脱出し、自過失の死者一名のほかは、上陸した漁村の人々の手厚い看護を受けて全員助かった。
国民は憤慨した。
「東洋人だけなぜ死ぬのだー!」
「これが英国紳士がすることかー!」
「東洋人差別だーっ!」
十一月五日、領事裁判権により駐神戸英国領事・ツループ(J.Troup)がドレーク船長以下全員に無罪判決を下すと、国民の怒りは大爆発した。
「無罪とは、どういうことだー!」
「これは明らかに殺人じゃねーかっ!」
「人種差別する英国人は追い出せーっ!」
世論のあまりの猛反発に、英国領事館のハンネン(N.Hannen)判事は仕方なくドレークだけを禁錮(きんこ)三か月にしたが、賠償金も何も出なかった。
国民の怒りは収まらなかった。
「甘い! 甘すぎるっ!」
「やはり日本の裁判は日本人が自分で行えるようにしろ!」
「領事裁判権なんか撤廃だっ!」
「関税自主権も回復せよっ!」
「人種差別も反対ーっ!」
中にはこんなうがった考え方を持つ者も現れた。
「もし、この世の中から差別をなくせないのであれば、日本人は何が何でも差別を行う側に立たなければならない」
[2008年2月末日執筆]
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