1.出世のために改竄 | ||||||||||||||
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佐野政言 PROFILE | |
【生没年】 | 1757-1784 |
【別 名】 | 善左衛門・世直し大明神 |
【出 身】 | 江戸(東京都) |
【職 業】 | 幕臣 |
【役 職】 | 旗本・大番士→新番士 |
【 父 】 | 佐野政豊(伝右衛門) |
【主 君】 | 徳川家治 |
【上 司】 | 田沼意知ら |
【同 僚】 | 猪飼五郎兵衛ら |
【墓 地】 | 徳本寺(東京都台東区) |
江戸幕府の武官は番方(ばんかた)といった。
文官は役方(やくかた)といったが、戦が遠ざかった江戸時代中期にもなると、番方の役割が薄れ、有能な人材は役方に流れたという。
(どうせ拙者は有能な人材じゃないよ)
旗本に佐野善左衛門政言(さのぜんざえもんまさこと)という若者がいた。
将軍外出の際に先駆けを務めた新番士(しんばんし)である。
新番は五番方(ごばんかた)の一つで、激務の割に報酬が少ないブラックな職であった。
(今は下っ端だが、これでも先祖は三万九千石の大名だった……)
五番方 |
大番 書院番 小姓組番 新番 小十人組 |
佐野氏は下野の名族である(「佐野氏系図」参照)。
平将門を討ったことで知られる藤原秀郷の子孫で、足利有綱(あしかがありつな)の子・元綱(もとつな)が佐野荘(さののしょう。栃木県佐野市)の地頭になり、佐野氏を称したのが始まりという(「藤原足利氏系図」参照)。
鎌倉時代には御家人になり、南北朝時代には足利氏に、戦国時代には後北条氏に従い、豊臣政権下で佐野信吉(のぶよし)が下野佐野三万九千石の大名になるが、慶長十九年(1614)の大坂の陣直前に改易された。
その後、徳川家光の時代に、信吉の子の久綱と公当兄弟が旗本として拾い上げられた。
(ああ、もうこんな仕事やだ! 出世して―! アイツみたいに出世してーよー!)
そう思っていたところにアイツはやって来た。
(うわさをすれば影だ)
アイツとは、若年寄・田沼山城守意知――。
遠江相良(さがら。静岡県牧之原市)四万七千石の藩主で、泣く子も黙る江戸時代中期最強のヒール・田沼主殿頭意次のボンであった(「金品味」「田沼氏系図」参照)。
意知は政言に気付いた。
「お、善左衛門ではないか」
二人は知り合いであった。
先祖からの腐れ縁があった。
「ははあ」
政言は頭を下げた。
今は下げているが、先祖は佐野家のほうが主君であった。
百姓だった意知の先祖・重兵衛(じゅうべえ)を、政言の先祖の縁者・佐野綱正(つなまさ。肥後守)が夫役として召し抱え、田沼重左衛門と名乗らせたのが始まりであった。
(成り上がり者めが)
政言の心のつぶやきが顔に出たのか、意知はわざと横柄な態度で笑った。
「相変わらず、愛想のない顔よのう」
「生まれつきでございますれば」
「上司には愛想を振りまかないと、出世はできぬぞ」
「……」
意知が高慢面を近づけてきた。
「この御時世、家柄など何の役にも立たぬ。当世はカネよ。カネがすべてよ」
「……」
「過去の栄光など、何の利にもならぬ。現在の格差がすべてよ。この世で最強なのはゼニよ」
「……」
「おぬし、出世したくはないか?」
「……」
「余の先祖がおぬしの先祖の世話になったことは事実だ。今の余の栄光は、おぬしの先祖のおかげでもある。今の余には権力がある。おぬしの先祖の恩に報いることが可能だ」
「はあ……」
「おぬしを小納戸役(こなんどやく)に取り立ててやろう」
「小納戸役に!」
小納戸役は若年寄の支配下にあり、将軍近辺で雑用を担う職である。
役高五百石役料三百俵で、二百五十俵高の新番士と比べると出世であった。
「本当ですか!? ありがとうございます!」
「たが、タダというわけにはいかぬ」
「ははあ! 拙者は何をいたせば?」
「簡単なことだ。袖(そで)の下よ」
「え、何ですか?」
「またの名をマイナイという」
「はえ?」
「わからぬヤツだな」
意知はより小声になって続けた。
「――余の父は常々口にされておる。『カネの重みは人命より重い』と」
「……」
「わかったな。この世の中はカネがすべてよ」
「……。拙者は没落侍ゆえ、御期待にはそぐえぬかと」
「おぬしの家は名家ゆえ、家宝を売ったり質に入れればカネになるであろう」
「それは、ちょっと――」
「嫌なら別の手もある」
「別の手?」
「そうだ。むしろ、余としてはこちらを望む」
「具体的に何を?」
「『佐野家系図』の改竄だ」
「かっ、改竄!」
「簡単なことだ。佐野家の先祖に田沼家の先祖をちょちょっと書き加えてほしい」
「……」
「余の先祖は知ってのとおり百姓だ。しかし、おぬしがちょちょっと改竄するだけでアーラ不思議、田沼家の先祖は佐野家と同じ藤原秀郷さまになる」
「……」
「どうだ?やってくれれば千両出そう」
「せんりょー!」
「やってくれるな?」
「え、でも、でも――、それっていけないことですよね?」
「いけないことだ」
「お縄ですよね?」
「そうだ。おぬしもグルだ」
「まだグルじゃありませんて!」
「そんなことはない。余が捕まったら、改竄はおぬしが持ちかけてきたと証言するであろう」
「!」
「余は全く関与せず、おぬしの忖度(そんたく)という単独犯だったということで決着するであろう」
「!!」
「断れば、おぬしに将来はない」
「……」
「改めて聞こう。やってくれるな?」
「……。ううっ、やるしかないじゃないですか〜」