2.賄賂のために金策 | ||||||||||||||
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佐野善左衛門政言は「佐野家系図」を改竄した。
田沼家の先祖・重綱(しげつな)なる人名を、佐野盛綱(もりつな)の子として書き入れたのである。
政言は田沼山城守意知に報告した。
「これで田沼家は佐野家の分家ということになりました」
「ほう」
意知はニンマリとした。
「では、その系図を少しの間貸してくれぬか?書き写したものを『田沼家系図』として当家にも残しておかねばなるまい」
「もっともですが、『佐野家系図』は一つしかないものですので貸すことはできません。御手間ですが、いちいち拙者の屋敷においでくださって書き写してください」
「面倒だが、仕方がないのう」
意知は、公用人(執事)・大村六右衛門(おおむらろくえもん)なる者を政言の屋敷に遣わして「佐野家系図」を書き写させることにした。
ところが、政言の留守中に屋敷にやって来た大村は、「佐野家系図」を持ち帰ってしまったのである。
「なんで貸すんだよ!」
政言は、貸してしまった父の佐野伝右衛門政豊(でんえもんまさとよ)に怒った。
「やっぱり何回も来るのは面倒なんで、持ち帰ってすぐに写して返してくれるそうじゃ」
「なくしちゃったらどうするんだ! この世に一つしかない大切なものなんだぞ!」
「大丈夫じゃって。心配性じゃのう、おまえは〜」
政言の心配は現実になった。
十日過ぎても意知は「佐野家系図」を返してくれなかったのである。
(おかしい。もうとっくに写し終わっているはずだけどな)
政言は意知の屋敷を訪ねた。
「いらっしゃい」
大村六右衛門が応対した。
「山城守さまは?」
「留守ですが。何用でしょう?」
「系図のことです。いつ返してくださるのでしょうか?」
「ああ、あれはまだ写しておりません。写し次第届けますが」
「大事なものなので早く返してくださらないと困るんです」
「こちらもほかの用事がたくさんありますので。――そうそう、そんなことよりあなたにはいい話があります」
「いい話?」
「ええ、小納戸役募集の件ですが、あなたに内定しました」
「本当ですか!?」
「ええ、本当です。我が主人・田沼山城守意知さまのおかげです」
「ありがとうございます!」
「それに加えて主人の父君・田沼主殿頭意次さまさまも御尽力してくださいました」
「主殿頭さまさままで!」
「お二人に感謝してください」
「はい! 感謝しております!」
「感謝というものは、気持ちだけでは通じません」
「え?」
「誠意を示してください」
「誠意とは?」
「あれ? あなたはもう御存知ではありませんか? お二人の大好物を?」
「金子(きんす)ですか?」
「そうです。それが誠意です。お二人にそれぞれ金一封をお包み下さい」
「……。拙者はまだ若輩者ゆえ、そういうものの相場がわかりません。金一封とはいかほどでございましょうか?」
「百両ですね」
「百両!」
「それも一人に百両ずつ」
「合わせて二百両! キビシー!」
「払えなければ出世話はナシです」
「払います! 払いますって!」
政言は帰って妻に伝えた。
「喜べ! 拙者が小納戸役に内定したそうだ」
「それって出世なんですか?」
「ああ、大出世だ。とりあえず支度金と世話になった上司への金子がいる。三百両ほど用意してくれ」
「三百両! そんな大金、うちにはありませんけど」
「親戚縁者友人知人から借りてくれ」
「無理です。みんな貧乏なんで」
「だったら質屋から借りてくれ。おまえの着物とかを売って」
「そんな〜」
「心配するな。小納戸役になれば質入れしたものは全部取り戻せる。新しいものも買えるだろう」
「本当ですか?」
政言は小納戸役採用の日までに意次・意知父子に百両ずつ届け、衣服や武器武具一式を取りそろえた。
で、採用の日に意気揚々と登城したところ、呼び止められた。
「こらこら。関係者以外立ち入り禁止です」
「え? 拙者は関係者ですが」
「顔を見たことがありません」
「そりゃそうでしょう。今日から小納戸役に採用された佐野善左衛門政言ですから」
「はい〜? そんな人は雇っていません」
「何を言っているんだ! 若年寄田沼山城守さまのお口利きだぞ!」
「恫喝(どうかつ)はやめてお引き取りください」
「どうなっているんだこれは」
政言はブリブリ怒りながら意知の屋敷を訪れた。
例のように大村六右衛門が出てきた。
「主人は留守です」
「どういうことですか? 小納戸に行ったら拙者は採用されていないと言われましたが」
「わかりません。担当者が不在なので」
「困るんだ。拙者はこの日のために三百両も借金をしたんだぞっ」
「下っ端の私に言われても何とも」
政言は意次の屋敷も訪れた。
「佐野善左衛門です。拙者って、小納戸役に採用されていますよね?」
こちらの公用人・高木俊歳(たかぎしゅんぞう・としぞう)は親切に調べてくれた。
「えーっと、小納戸頭取に問い合わせてみました。新規採用者に佐野なんて名前はありません。不採用になったんでしょう」
「何だって!」
「初めから内定の話もなかったようですよ」
「はあー?」
「だまされたんじゃないですか?」
「誰だ? 誰がだましたんですか?」
「わかりません。小納戸は若年寄の管轄です。山城守さまの方でお尋ねください」
政言は、また意知の屋敷を訪れた。
また大村が応対した。
「主人は留守です」
「いつも留守じゃないか!」
「多忙なのです。申し訳ございませーん」
「わざとだろ!拙者をだましたから、顔見せられないんだろ!」
「聞き捨てなりませんな」
「すみません。どうしていいかわからず、ついつい感情的になってしまいました」
「それにしてもおかしいですね。主人の口利きがあれば、不採用になるはずはないのですが」
「ですよねー」
「考えられることは一つです。主人の口利きはなかったのでしょう」
「何だって? 拙者は二百両も包んだんだ! カネ大好きな山城守さまが口利きしてくれないはずはない!」
「考えられることは一つです。それ以上の大金を包んだ別の人がいるんですよ。小納戸役はなり手が多いですからね。主人はより多くのカネを包んだソイツを口利きしたのです」
「ううう、そんな……」
「あなたも対抗して包み増しすればいいじゃないですか。ソイツ以上のカネを積めば、ソイツは蹴落とされ、あなたの不採用は取り消されます。そうですね、あと二百両も積めばソイツもあきらめるんじゃないですか」
「しかしもう、拙者にはカネはない……」
「なければ出世話はナシです」
「クソッ! 二百両ぐらい、すぐにかき集めてやらー!」
政言は帰って妻に頼んだ。
「カネだ。カネが必要なんだ。もっと金子を出してくれ」
「前に出したじゃない」
「まだ全然足りないんだ。あと二百両、工面してほしい」
「バッカじゃないの? ビンボー侍の我が家でそんな大金用意できるわけないじゃない!」
「家宝を売れば何とかなる」
「わからない! どうしてそんなにカネが必要なの? 何でそんなに必死なのよ!?」
「出世のために決まっているじゃないか! 拙者は負けたくないのだ!」
新たに二百両を用意した政言は、またまた意知の屋敷を訪れた。
またまた大村が応じた。
「主人は留守です」
「またそれかい」
「主人は超多忙なのです。お許しください」
「新たに二百両用意した。今度こそ本当に小納戸役になれるんだな?」
「そうはいかなくなりました」
「何だと?」
「例のソイツ――、つまり、あなたの競争相手が小納戸役になるためにいくら積んでいたのかわかったんですよ」
「いくら積んでいたんだ? まさか、四百両も積んでいまい」
「ところが、そのまさかでした」
「何だって?」
「ソイツは山城守さま主殿頭さまさま、お二人に各三百両、計六百両も積んでたんですよ」
「!」
「二百両と六百両――、これじゃあ誰でも六百両の方を採用しますよねー?」
「……」
「四百両と六百両――、これでもまだ六百両の方を採用しますよねー?」
「……」
「お引き取り下さい」
「え?」
「ゼニの積み合いに敗れたあなたを小納戸役に採用することはできません。出世話はナシです。ざーんねん!」
「ううう……」
「悔しかったら六百両以上、つまり、あと二百両以上乗せしてお越しください。ビンボー侍のあなたには到底無理な話でしょうが」
「くくくぅうぅうっ……」
「ププッ! うちの主人の先祖は、あなたの先祖の家来だったそうですね。先祖の部下のもっと部下にいじめられて、あなたの先祖は草葉の陰でおいおい泣いていることでしょう」
「クッ、クッ、クソッタレーがぁー!」
政言は壊れた。
大村は驚くどころかうれしそうであった。
「怒ったところでビンボーはビンボーなんですよ! 悔しかったらあと二百両以上用意してきやがれってんだ!」
「おう! 持ってきてやら―! そして今度こそ、絶対に小納戸役になってやら―!」
政言は疾風のごとく舞い戻って妻に急き立てた。
「カネだ! カネだ! カネ持ってこーい!」
「もうありませんって!家宝もみんな売っちゃったのよっ!」
妻は逆切れして泣きそうになった。
「おかしい! おかしいわよっ! どうしてこんな突然ぽんぽん何百両もカネがいるようになったのよっ!」
「出世のためって言ってるじゃないか!」
「違うわ! 絶対違う!――あ、わかった!オンナに貢いでいるのねっ!」
「そんなもん、いねーよ!」
「吉原ね?吉原でしょ!? 吉原のオンナにつぎ込んでるんでしょ!!」
政言はピピーンときた。
「そうだ! その手があった! おまえを吉原に売ればカネになる!」
「!」
政言は妻を売りとばして新たに二百二十両をこしらえると、意知の屋敷に押し掛けた。
これで合計六百二十両持参したことになる。
さすがに大村も感服した。
「すごい執念ですね。ここまで積めば、さすがにあなたの勝ちでしょう。例のソイツは解任され、あなたが小納戸役に採用されるでしょう」
「山城守さま主殿頭さまさまによろしく頼みます」
「ええ、今度こそ大丈夫のはずです」
政言は安心して立ち去ろうとした。
その時、床の間に見覚えのある旗が置かれているのに気付いた。
「あれ? その旗は?」
大村が説明した。
「ああ、主人が質屋で買ってきた旗です。いい旗でしょう?」
それは七曜紋の旗であった。佐野家伝来の家宝だったものであった。
「いい旗も何も、拙者が質屋に売った佐野家伝来の旗だ」
「そうですか。これからは田沼家伝来の旗になるそうです」
「!」
政言は忘れていたことを思い出した。
「そういえば、『佐野家系図』を返してもらっていなかった。返してほしい」
「まだ写しかけですので、もう少しお待ちください」
「信じられない。まだ写してたのか? 本当に写しているんだろうね?」
「ええ、少しずつ写していますよ」
「じゃあ、どのくらい写したか、その『田沼家系図』とやらを見せてくれ」
「見せられません」
「どうして見せられないんだ?」
「それはその――」
大村が言葉を詰まらせた時、意知がちょうど帰ってきて言った。
「見せてやればいいではないか」
「しかしあれには――」
「いい機会だ。見せてやるがいい」
大村は写している「田沼家系図」を持ってきて広げた。
政言がのぞき見て言った。
「あれ? ほぼ全部写してあるじゃないですか」
「ええ、あともう少しです」
「田沼家系図」には、政言が改竄した「佐野家系図」よりなお一層の改竄があった。
「佐野家系図」には田沼家は佐野家の分家だと書き込んだはずだが、そこには田沼家が本家で佐野家が分家だと書かれていた。
政言は首をかしげた。
「これはどういうことですか?」
意知は当然のように答えた。
「分からぬか?田沼家に箔(はく)をつけるためよ」
「そ、そんな……。これではまるで拙者の先祖が山城守さまの先祖の家来だったみたいじゃないですか!」
「その通りだ。おぬしの先祖は余の先祖の家来だったのだ」
「ウソです!そんなのは本当の歴史ではありません!」
意知は嫌な笑みを浮かべた。
「おぬし、それが改竄に手を染めた犯罪者のいう言葉か?」
「……」
「言ったはずだ。当世はカネがすべてだ。この世で最強なのはカネだ。カネの力は現世未来に及ぶだけではない。過去すら変えることができるのだ」
「しかし――」
「控えろ下郎! 頭が高い! 余の先祖は代々おぬしの主君であるぞ! 鎌倉時代から現在まで、ずっとだ!」
政言は悔しかった。
先祖に申し訳なくて、泣いてしまった。
「ひどい! ひどすぎます! 拙者一人ならともかく、拙者の先祖すべてをおとしめて愚弄するとは……。それでも、山城守さまがねじ曲げた歴史が間違いであることは、拙者が貸した『佐野家系図』と見比べてみれば明らかです。拙者の先祖は、あなたの先祖の主君だったのです!
返してください! 真実の歴史が記してある『佐野家系図』を返してください!」
「真実だと? ワハハハハ!」
意知は大笑いして言い返した。
「何か真実だ! もとはといえば、おぬしが先に改竄したのだ! おぬしの先祖に余の先祖を書き加えたのが始まりだったのだ!
歴史修正主義者に『佐野家系図』は返すわけにはいかぬわっ!」
「うくくくぅぅくぅぅ……」
「それに、すでに『佐野家系図』にも、本家は田沼だと書き直してあるからな」
「!」
「ハハハハハ! 佐野は田沼に負けたのだ! 余のカネの力によって、おぬしの先祖はものの見事に凋落(ちょうらく)したのだ! よくも今まで主君ヅラして我が先祖を虐げてきてくれたものだ! これからは余と余の子孫が、貴様と貴様の子孫を虐げ続けてくれようっ! ワハハハハハ! これほど愉快のことはない! ハーッハッハッハハハハ!」
「……」