3.清算のために刺殺 | ||||||||||||||
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結局、六百二十両もの大金積んでも佐野善左衛門政言が小納戸役になれることはなかった。
屋敷の中の物は、妻子も含めてほぼすべてなくなってしまった。
屋内にいるのは年老いた両親だけで、来客も借金取りだけになってしまった。
それでもまだ政言はあきらめていなかった。
これまで通り、新番士として激務に耐えて出世の機会をうかがっていた。
天明三年(1783)十二月、政言は将軍・徳川家治の鷹狩りに随行した。
政言は必死で働き、雁(がん)一羽を射落とした。
「あっぱれである!」
家治は褒美を与えようとしたが、田沼山城守意知の、
「善左衛門本人ではなく、供の者が射落としたので無効」
という意見で取りやめになった。
政言は怒り狂った。
「山城守め! いったいどこまで拙者の出世の邪魔をしたら気が済むのだ!」
ぐったり疲れ果てた政言が家に帰っても、慰めてくれる妻はいなかった。
癒してくれる子の笑顔もなかった。
政言は妻に会うため吉原に通った。
遊興費は故郷に残っていた先祖代々の氏神・佐野大明神を売り払ってこしらえた。
しかしそのカネが尽きた頃、妻が吉原からいなくなってしまった。
政言は妻を捜した。
「妻はどこに行った?」
遊女の一人が教えてくれた。
「お武家さまが身請けしたとのことですが」
「どこの侍だ?」
「確か、田沼さまとか――」
「また田沼かぁー!」
「そうそう。あなたが売り払った佐野大明神も、田沼さまが買い取って田沼大明神に改称したそうよ」
「ぐわぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!!」
政言は発狂した。
「ぶっ殺す!」
政言は肩を怒らせて江戸城へ向かった。
「田沼山城守意知を、見るも無残にぶっ殺してくれるっ!!」
バッ!
政言はいきなり新番所に入った。
同僚の新番士・猪飼五郎兵衛(いかいごろべえ)がおびえた。
「佐野。顔が怖いぞ」
「うるせえ!」
政言はどうでもよかった。
それより意知ヤローを捜した。
意知ヤローは、同僚若年寄の酒井石見守忠休(さかいいわみのかみただやす)や太田備後守資愛(おおたびんごのかみすけよし)と当番所から退出するところであった。
(ぶっ殺す!)
政言は新番所の隣にある桔梗之間(ききょうのま)に潜むと、
カチャ。
大脇差「一竿子忠綱(いっかんしただつな)」の鯉口(こいぐち)を切った。
そうとは知らない意知は、中之間(なかのま)を歩きながら横にいた酒井らを見て談笑した後、前に向き直って驚いた。
「な……」
いつの間にか血眼の侍が進路をさえぎっていたからである。
ブシッ!
目の前に現れた白刃は赤刃になり、肩が割れた。
「覚えがあろう!」
政言の一喝(いっかつ)に、近くの柱がビリビリと震えた。
「あわわ!」
意知は恐れをなして逃げた。
ぶん! グサッ!
背中を追った赤刃は空振り、柱に刺さった。
「なんだ? 殿中でござるぞ!」
すぐ横にいた酒井は驚き、猛烈と後ずさりした。
「それをやられるとさすがに! それはいくらなんでも、それはいくらなんでも御容赦くださいっ!」
太田はバタバタ混乱した。
意知は、桔梗之間に逃げ込んだ。
政言は追いかけた。
「逃げても無駄だ! そこはさっき拙者が隠れていた所だっ!」
ブーン!ブンブーン!
政言は滅茶苦茶に大脇差を振り回した。
びし!がち!
時々、当たった。
「いてー!」
「このやろ! このやろ!」
「おのれ!」
意知も脇差を抜いて応戦しようとした。
「おやめくだされ!」
大目付・松平対馬守忠郷(まつだいらつしまのかみたださと)が政言に飛び掛かると、背後から羽交い絞めにした。
でも、老人だったため、
「止めるな、コノヤロー!」
どかーん!
あっけなく吹っ飛ばされてしまった。
そのスキに意知は逃げようとしたが、
どて!
自分の血だまりに滑って転んだところ、
「カネの亡者め! 地獄へ落ちろぉぉぉーーー!!」
ボスゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!
股間にとどめの一撃を貫かれてしまった。
「おうぅうぅぅぅぅ!」
ばたっ!
意知は中之間の手前で気を失ってしまった。
時に天明四年(1784)三月二十四日九ツ時(正午頃)。
四月二日、意知は傷がもとで死亡した。享年三十六。
四月三日、政言は切腹を命じられた。享年二十八。
意知の墓は勝林寺(東京都豊島区)に、政言の墓は徳本寺(東京都台東区)にあるという。
[2018年3月末日執筆]
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※ 江戸時代に系図を改竄したとみられる大名家は多くあります。