★ 顔面蒼白!もう限界!それでも笑って前へ前へ!! 〜 勝つのはどっち?大国主神と少彦名命の我慢比べ!! |
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ホーム>バックナンバー2020>令和二年1月号(通算219号)賭け味 カジノを含むIR汚職事件
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カジノは問題がありすぎる。
カジノは賭博(とばく)なのである。
賭博は賭博罪として罰せられる犯罪なのである。
それを政府は合法化しようとしている。
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カジノ 大国主 少彦名 播磨国風土記 |
令和元年(2019)十二月、秋元司(あきもとつかさ)衆院議員らがカジノを含むIR汚職事件で逮捕された。
日本でのIR参入を目指していた中国企業「500ドットコム」から金品などを受け取っていたという。
もしこれが発覚しなければ、秋元は大もうけしていたであろう。
つまり、カジノそのものだけではなく、カジノ誘致もまた賭博だったのである。
しかし、これは氷山の一角であろう。
カネにまみれた汚い氷山の全容は明らかにはなるまい。
賭け事の歴史は古い。
日本では飛鳥時代には存在していたという。
天武天皇十四年(685)九月、天武天皇(「粛清味」参照)は大安殿(皇居正殿)に臣下を集めて博戯(はくぎ)を開催し、勝者とみられる宮処王(みやどころおう)・難波(なにわ)王・竹田(たけだ)王・三国友足(みくにのともたり)・県犬養大侶(あがたのいぬかいのおおとも)・大伴御行(おおとものみゆき。「金持味」参照)・境部石積(さかいべいわつみ)・多品治(おおのほむじ)・采女竹羅(うねめのつくら)・藤原大嶋(ふじわらのおおしま)の十名に自身の衣服を与えたという。
博戯(はくぎ)とは、大陸から伝えられた盤上遊戯「双六(すごろく)」を用いた賭け事とされる。
これは相当流行したらしく、持統天皇三年(689)十二月には双六禁止令が出されるが、以後も賭博の常套(じょうとう)として使われた。
古代では双六の他に、囲碁や独楽(こま)などが賭博の常套として使われた。
弊サイトでも、光仁天皇と井上内親王(いのえないしんのう)が双六で異性を賭けたり(「ヤミ味」参照)、寛蓮(かんれん)と醍醐天皇が囲碁で金の枕を賭けたりした話(「取違味」)を紹介している。
中世になると、双六で使われていた賽子(さいころ)だけで賭けるのが主流になった。また、将棋・闘茶・聞香・連歌なども常套だったという。
近世には、新たな常套として南蛮から渡来したカルタが流行した。他にも、笠付(かさづけ)・富籤(とみくじ)・取退無尽(とりのきむじん)など様々な常套が考案された。
近代には外国から競馬などが渡来し、お上ににらまれた時期もあったが、戦後は公営賭博になった。
現在では競輪・競艇(ボートレース)・パチンコ・宝くじ・スポーツくじなど、より取り見取りの公民営賭博が乱立している。
というわけで今回はお正月なので、おめでたい神様たちが登場するお話です。
奈良時代に編纂された諸国風土記の一つ『播磨国風土記(編者不明)』から、賭け事の物語を紹介します。
原文には、大国主神(おおくにぬしのかみ)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が我慢比べをしただけのように書かれていますが、何かしら賭けたとみられます。日本神話には賭け事や賭け事めいたことをする神様がしばしば登場します。
「あ! 日本神話ってことは、また下ネタ満載なんだろうね?」
はい! その通りです!
満載も満載、全開バリバリなので、何とぞお食事中には御覧にならないでください。
それでも、あえて挑戦する猛者を止めたりはいたしませーん♪
[2019年12月末日執筆]
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