★ えーい! これでもあなたはカネが欲しいかー!? 〜 日本三大随筆の一つ『徒然草』第九十三段を見よ! |
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カネは魔性である。
数字は無感情な羅列である。
株は魔界への入り口である。
勝っているうちは気づかないが、負けてみて初めて思い知らされるものである。
「すべてのことはカネで動かすことができる」
世の中には、そう信じて疑わない人々がいる。
現在に限ったことではない。歴史上にも数多くいた。
「裏金味」で取り上げた、天下の総奉行・大久保長安(おおくぼながやす・ちょうあん)などはその典型であろう。
こういう人々は、知らない間にカネの魔力に取り憑(つ)かれているのである。
カネで会社を買おうとしても、人の信用までは買うことはできない。
カネで外交を行おうとしても、人の怨念までは抑えることはできない。
カネで犯罪を防ごうとしても、人の邪心までは消し去ることはできない。
カネは万能ではない。うわべだけのものである。
つまり「カネ」そのものが「粉飾」なのだっ!
人は勘違いしているだけである。
本当は人は「カネ」が欲しいわけではない。
「カネと交換できるもの」が欲しいのだっ!
人は生涯のうちに何度も「大切なもの」を失うであろう。
読者の方々も、今まで多くの「大切なもの」を失ってきたことであろう。
はたしてそれらは、カネで買い戻せることができるものであろうか?
できないもののほうが、圧倒的に多いに違いない!
平成十八年(2006)一月二十三日、ライブドアの堀江貴文(ほりえたかふみ)社長(当時)が偽計取引と風説の流布の容疑で逮捕された。
「ライブドアを世界一の会社にしてみせる!」
逮捕前、堀江はこう豪語していた。
大いに結構なことである。
この世に生を得た以上、世界一を目指すことは万人が持つ権利である。誰もその信念を否定することはできないし、邪魔する権利もない。
平成十六年(2004)、堀江は近鉄バッファローズ買収に名乗りを挙げた。
「プロ野球界を変えてみせる!」
買収には失敗したものの、堀江の言動に多くの人々が賛同した。
「彼は時代の寵児(ちょうじ)だ!」
「彼のような新しい金持ちが経済界を再生してくれるんだ!」
「そうだ!
お金は大切なんだっ!」
そう。人々は熱狂的に彼を支持した。
そして、政財界の巨頭たちも争うようにこれになびいたのである。
「エールを送りたいね(小泉純一郎首相)」
「堀江君はわが弟です! 息子です!(武部勤自民党幹事長)」
「郵政改革は首相とホリエモンと私とがスクラムを組んで実現いたします!(竹中平蔵総務相)」
そう。人々は彼に「夢」を見ていたのである。彼の「新しさ」に魅かれていたのである。決して「カネ」や「うさんくささ」にイカれていたわけではない!(「揉事味」参照)
が、夢はぶち壊されてしまった。
堀江のやり方は間違っていた。
彼は堂々と王道を進もうとはせず、こっそりわき道をすり抜けようとした。
結果、いつの間にか社会のルールからはみ出してしまっていることに気づかなかったのである。
期待が大きければ大きいほど、失望もまた大きいものである。
それがライブドア株の暴落となって現れたのである(ライブドア・ショック)。カネは魔性であるが、正直でもあるのだ。
堀江は人の心を甘く見ていたとしか言いようがない。
株価はカネに左右されるものではない!
カネを持つ人の心が動かすものなのだ!
彼は「ライブドア財閥」を目指していたのであろう。
「金融」に目をつけたのは、まさしくそれに違いない。
それならなおさら深読みすべきだった!
そう。彼はうわべだけのものにとらわれ過ぎたため、本質を見極めることができなくなっていたのである!
「町奉行」の旧恩も、「既存財閥」の心理も、全く無視していたのである!
「私は帰ってくる」
堀江は逮捕される前、マッカーサーばりにこう言い残したという。
その言葉通り、彼はライブドアには戻れなくとも、経済界には帰ってくることであろう。
しかし、
「人の心はカネで買える」
「カネさえあればなんでもできる」
「国民はバカだ」
そんなことをほざいているうちは、世界制覇などできないに違いない!
世界は目指しているうちが花である。
世界一になってしまえば、あとはもうやることがない。
天下を獲った天下人の残りの生涯というものは、実にミジメなものではないか!
天下は万人のものである。個人のものではない!
上にあるものではない! 遠くにあるものでもない!
天下は万人の掌中(しょうちゅう)にあるものである! 万人の心の中に間違いなく存在するものである!
* * *
今回は堀江とは対極をなす、鎌倉〜南北朝時代の文人・吉田兼好の随筆『徒然草』から、第九十三段のお話を御紹介したい。
[2006年1月末日執筆]
参考文献はコチラ
【そばで聞いていた人】
【牛の話をした人】
【周りの人々】