3.桓降ろし

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菅降ろし
1.政権交代
2.東北大変
3.桓降ろし
4.天津日嗣

 天応元年(781)十二月二十日、先帝・光仁上皇は危篤に陥った。
「父を死なせるわけにはいかぬ!」
 桓武天皇は大規模な大赦を行った。
 軽犯罪者から超極悪人まで、すべての犯罪者を獄中から解放したのである。
 悪人たちは喜んだ。
「え?外に出ていいの?」
「オレ、シャバに出たら、すぐに悪いことしちゃうよ〜」
「上皇さま、死にそうになってくれて、ありがとーう!」

 が、二十三日、桓武天皇の思いは届かず、光仁上皇は崩御してしまった。享年七十三。
「うわーん!父上ー!」
 桓武天皇は大号泣し、
「以後、朕
(ちん)は三年間喪に服す」
 と、言い出した。
 これには左大臣・藤原魚名以下、諸臣があわてた。
「お気持ちは察しますが、そのようなことは前例がありません。東北が大変なこの時期に、政治空白を生じさせてはなりません」
 桓武天皇は思い直した。
「わかった。喪の期間は六か月に短縮する」

 氷上川継は苦笑した。
「フッ!どうせなら三年間休んでいればいいものを。まあいい。六か月とはいえ、これ以上の決起の好機はない!ワハハッ!喪が明けた頃には、キサマには皇位というイスはなーいっ!」

 川継は同志を集めた。
 川継の誘いに、参議・大伴伯麻呂(おじまろ)、散位・中臣伊勢老人(なかとみのいせのおきな)、大原美気(おおはらのみけ)、藤原継彦(つぐひこ。浜成の子)らがなひいた。
「六か月に短縮されたとはいえ、まだまだ政治空白が長すぎるぞ」
「そもそもニセ皇族が天皇やってるのがおかしい」
「今こそ天武系の総力を挙げて皇権奪還だ!」
「えいえい、おー!」

 また、陰陽頭(おんみょうのかみ。陰陽寮長官)・山上船主(やまのうえのふなぬし。憶良の子?)や、三方王(みかたおう)・弓削女王(ゆげじょおう)夫妻らには、桓武天皇が乗る輿(こし)を呪わせた。
「落ちろ〜、落ちろ〜、落ちやがれ〜」
「今なら帝を呪ったとしても、井上内親王のたたりと間違えられるだろうし」
「そうだ!この際、廃后の怨霊にも加勢してもらいましょう!」
 桓武天皇の命ではなく、輿をねらうことで退位を願ったわけであろう。

 天応二年(782)正月、川継は因幡に任ぜられた。
 任ぜられたからには赴任しなければならない。
 が、都から離れた因幡へ行ってしまっては、今までやって来た「桓降ろし」が水の泡である。
「急がねば!因幡へ行く前に決起するのだ!」
 川継は決起の日を閏
(うるう)一月十日に決めた。
 で、一味の宇治王
(うじおう)なる男に、決起の日時を知らせようとした。
 宇治王の系譜は明らかではないが、川継に誘われたということは天武系かもしれない。

 川継は、資人(しじん。貴人の部下)・大和乙人(やまとのおとひと)を宇治王のいる宮中へ遣わした。
 ところが、桓武天皇の側近に鋭い男がいた。
 左衛士・藤原種継
(たねつぐ)――。
 かの藤原百川のおいである。
(川継は必ず動いてくる)
 彼は川継が因幡に任じられて以降、ずっとマークしていたのである。
 当然、怪しい動きをした乙人を見逃すはずがなかった。
「宮中で何をしている?」
「いえ。ちょっと。知り合いにお伝えしたいことが――」
「決起の日時ではないのか?」
「!」
 乙人の顔色が変わった。
 種継はニヤリとした。
「図星だな?逮捕して拷問しろ!」
「やめろー!拷問したって何も言わねーぞー!」
「何だとコイツ!」
「やっておしまい!」
 乙人は衛士たちによってボコボコにされた。
 弱みを調べ尽くされていた乙人は、甘ーい話も持ちかけられた。
 乙人は落ちた。
「言います〜、言います〜」
 結局、川継の計画を全部しゃべってしまったのである。

 種継は桓武天皇に報告した。
因幡・氷上川継が悪いことを考えていました。今月十日夜に衆を集め、宮城北門から許可なく侵入し、悪だくみをして喜んでいました」
 桓武天皇は不思議がった。
「悪いこととは何だ?何を話し合っていたというのだ?」
「帝の廃位計画です」
 桓武天皇はまゆをつり上げた。
「川継を召喚して問いただせ!」
「ははあっ!」

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