4.天津日嗣 | ||||||||||||||
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天応二年(782)閏一月十一日、氷上川継邸に召喚の勅使が遣わされた。
勅使は左京大夫(さきょうのだいぶ。左京職長官)・藤原鷹取(たかとり)――。
左大臣・藤原魚名の子である。
「勅使である。門を開けよ!」
が、出てきたのは川継の妻・藤原法壱。
「主人は留守ですけど」
ウソであった。
川継は奥の壁から片目だけ出して表の様子をうかがっていた。
鷹取は、川継の半顔を見てしまったので笑っちまったが、実は彼は父から話を聞かされていた。
「不破内親王殿下は川継殿こそが正統な皇位継承者だと主張されているそうですね?」
「はあ?」
「今の帝はニセ皇族だと」
「ひょっとして、あなたもそれを信じてくれているわけ?」
鷹取は笑い飛ばした。
「わはは!信じるわけがないじゃないですか。しかし、私は真の皇位継承者かもしれないお方が、ニセ皇族かもしれない男に逮捕されるところは見たくはありません」
「!」
「私がこうしてあなたと押し問答をしているうちに、真の皇位継承者かもしれないお方が裏門から逃亡することを願います」
「!!」
法壱は振り返った。
まだ壁から半顔を出していた夫に向けて叫んだ。
「逃げてー!」
川継はハッと我に返った。思い出したように裏門からズダダダ逃走した。
三関 |
奈良時代 … 伊勢国鈴鹿(すずか)関・美濃国不破(ふわ)関・越前国愛発(あらち)関 平安時代 … 鈴鹿関・不破関・近江逢坂(おうさか)関 奥州 … 常陸国勿来(なこそ)関・陸奥国白河(しらかわ)関・出羽国念珠(ねず)関 |
鷹取は桓武天皇に復命した。
「申し訳ございません。私がもたもたしているうちに、川継は裏門から逃亡してしまいました」
「こしゃくなヤツ」
桓武天皇は種継に命じた。
「追え!川継が頼るのは大宰府にいる浜成に違いない!念のため三関も閉じよ!逃がすでないぞっ!」
閏一月十四日、川継は大和国葛上郡(かずらきのかみぐん・かつじょうぐん。奈良県御所市)で逮捕され、平城宮へ連行されてきた。
「ぶざまだな」
桓武天皇に笑われた川継が言い返した。
「たとえ縛られても、私は本物の皇族ですから。ニセ皇族のあなたと違って真の皇統ですから」
桓武天皇は吹き出した。
「お前は何か勘違いしているようだな」
桓武天皇はある人を呼んだ。
「お呼びでございますか?」
やって来たのは坂上苅田麻呂であった。
桓武天皇は川継に言った。
「お前も元おば(不破内親王)も、我が父(光仁天皇)と道鏡が同一人物だと思っているそうだが勘違いだ。――ただし、かつて道鏡は我が父との入れ替わりを画策したことがあった。左遷されたことを知った道鏡は、我が父と入れ替わり、我が父のふりをして即位しようとたくらんだのだ」
「!」
「しかし、事がなる前に、ヤツの野望は密告によって阻止された。その時の密告者こそ、ここにいる坂上苅田麻呂である」
「!!」
「これで分かったであろう?我が父は正統な皇統である!ゆえにその子である朕も、まがうことなき正統な天津日嗣である!」
「ぬぬぬ……」
「まだ信じないのか」
桓武天皇は、別の男も呼んだ。
●桓武天皇政権閣僚(782当時) |
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官 職 | 官 位 | 氏 名 | 兼官 |
天 皇 | 桓武天皇 | ||
左大臣 | 正二位 | 藤原魚名 | 大宰帥 |
右大臣 | 従二位 | 藤原田麻呂 | 近衛大将・皇太子傳 |
大納言 | 正三位 | 藤原是公 | 式部卿・中衛大将 |
中納言 | 正三位 | 藤原継縄 | 中務卿 |
参 議 | 正三位 | 藤原小黒麻呂 | 民部卿・按察使 |
参 議 | 従三位 | 藤原浜成 | 大宰帥→大宰員外帥 |
参 議 | 従三位 | 藤原家依 | 兵部卿・侍従 |
参 議 | 従三位 | 大伴家持 | 左大弁・春宮大夫・陸奥守 |
参 議 | 正四位上 | 大伴伯麻呂 | 中宮大夫・宮内卿 |
参 議 | 正四位下 | 神 王 | 大蔵卿 |
参 議 | 正四位下 | 石川名足 | 右大弁 |
参 議 | 正四位下 | 紀 船守 | 近衛員外中将 |
参 議 | 正四位下 | 藤原種継 | 左衛士督 |
参 議 | 従四位上 | 大中臣子老 | 神祗伯 |
参 議 | 従四位下 | 紀 家守 | 中宮大夫 |
※ 青字は同年昇進。赤字は同年処罰。 |
「お呼びでございますか?」
今度は和気清麻呂であった。
あの道鏡の即位を阻止した正義の男であった。
「今では清麻呂は朕に仕えている。あの真の皇統を重んじ、権力にも屈しなかった清廉潔白な男が朕に仕えている。この男が仕えていることこそ、朕が真の皇統であるという何よりの証拠だ」
「クソッ!たとえ正義の男であろうが、買収されないとも限るまい」
「まだ言うかっ!」
桓武天皇は立ち上がって言い放った。
「川継!真の皇統である朕を疑い、謀反を企てた罪は重いぞっ!お前は死刑だ!」
「そんな〜!」
「――と、言いたいところであるが、父の喪中である。罪一等を減じ、流刑に処す!」
「ひいい〜ん。ありがたき幸せ〜」
こうして川継は法壱とともに伊豆へ流刑にされた。
また、不破内親王と川継の姉妹は淡路に流刑にされた。
山上船主は隠岐に、三方王は日向に左遷され、弓削女王は夫とともに日向に流された。
藤原浜成と大伴伯麻呂は参議を解任され、大伴家持・坂上苅田麻呂も現職を解任された(まもなく復任)。
さらに、藤原継彦、大原美気、中臣伊勢老人は京外へ追放された。
六月には藤原鷹取も石見介に左遷された。
その父・藤原魚名は左大臣を解任され、大宰帥として大宰府へ追いやられた(任地へ赴く前に難波で病没)。
鷹取の弟の藤原末茂(すえもち)は土佐介に左遷され、藤原真鷲(まわし)は魚名に同行することになった。
一方、藤原種継は、紀家守(きのいえもり)とともに参議に昇進した。
魚名に代わって政界首班の右大臣になったのは、種継の叔父・藤原田麻呂(たまろ。「奈良味」「藤原式家系図」参照)である。
[2011年6月末日執筆]
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