2.ホイットニー−●升田幸三

ホーム>バックナンバー2020>令和二年7月号(通算225号)希望味 ホイットニーvs升田幸三2.ホイットニー−●升田幸三

コロナ禍の希望
1.ホイットニー木村義雄
2.ホイットニー升田幸三

 じゃっ! じゃっ!じゃっ!
 ピュ〜〜〜!
 昭和二十二年(1947)の夏、升田幸三が日比谷
(ひびや。東京都千代田区)にあったGHQ本部にやって来た。
「ここか」
 ポイ。
 ドカ! ドカ! ドカ!
 くわえタバコを足元に捨ててにじり消す音である。
「――広島に原爆を落としやがったヤローどもの巣窟(そうくつ)は」
 升田は広島県三良坂
(みらさか。後の三次市)村の出身であった。

 升田が建物の中に入ろうとすると、
「コラコラ。ココハ立チ入リ禁止デスヨ〜」
 と、守衛の兵士に止められた。
「俺は呼ばれて来たんだ」
「アンタ誰?」
「人に名前を聞く時は自分から名乗るものだ。おまえこそ誰だ?」
「△◎◆※■■+=」
日本語に訳せよ!」
「自分ノ名前ハ日本語ニハ訳セマセーン」
「もういい!俺は升田幸三だ! 取り次げ!」

 しばらくして、兵士は戻ってきた。
「ソーリィ、中へドーゾ」
「総理じゃねーし!」
 升田が部屋に入ると、GHQの将校たちが面接官のように並んでいた。
「プリーズ」
 升田は促されるまま、席に座った。
 机の上には将棋盤とチェスが一組置かれ、それぞれ駒も並べられていた。
 将校のうち、一番偉そうな人がしゃべった。
 通訳が訳して伝えた。
「ミーがホイットニーだ。木村から話は聞いたな?」
 升田は腕を組むと、前のめりになって居酒屋のように注文した。
「とりあえず、ビール」
 ホイットニーは苦笑したが、持ってこさせた。
「酒は好きなのか?」
「ああ、五歳から飲んでる」
「タバコは?」
「一日二百本」
「相当のツワモノだな」

 ドン!
 机の上に置かれたのは、升田が見慣れた瓶
(びん)ビールではなかった。
「缶詰じゃねーし!」
 ホイットニーが横にいた将校と顔を見合わせて笑ってから教えてあげた。
「それ、缶入りのビールだよ」
「何だと? アメリカにはビールの缶詰があるのか?」
 缶ビールといっても現在のようなプルタブはついていない。
 升田は缶切りで開けて飲もうとした。

 と、その時、あの現象が起こった。
 ガシ!
 プシュー!プシュシュー!! 麦汁プシャー!!!
 どくどく!じゃばじゃば!! びっちょびちょ!!!
「あーあ」
 ずぶぬれになった升田は、思わず飛び上がった。
「アーッハッハッハ!」
 ホイットニーたちはどっと笑った。
 ぐびぐびっ。
 升田は缶の中に残っていたビールを一気に飲み干すと、
「まずーい! もう一杯!」
 と、おかわりを要求した。

 ホイットニーがまた缶ビールを持ってこさせた。
 升田がまた開けようとして警戒した。
「またプシャー!って、なるんじゃないだろうね?」
 ホイットニーが笑いをこらえながら言った。
「それは振ってないから大丈夫。ウププ!」
「なるほど。振ると飛び出すのか」
 しゃか!しゃか!しゃか!しゃか!
 升田は何を思ったか勢いよく缶ビールを振り始めた。
 ホイットニーは嫌な予感がした。
「な、何をする気だ?」
「こうだ!」
 ガシ!
 プシャー!麦汁しゅー!しゅしゅー!! しゅしゅしゅー!!!
 升田は缶ビールシャワーをホイットニーに向けたのである。
「なんの!」
 ぴょーん!
 ホイットニーはすんでのところで飛びのいた。
 升田は笑った。
「さすがはマッカーサーの子分! 逃げ足が速い!」
「無礼者!」
 怒った将校が銃を向けたが、ホイットニーが下させた。
「やめろ! こっちが仕掛けたことだ。座れっ!」
 将校たちは座った。
 ホイットニーも座った。
「なるほど。木村の言ってた通り、コイツは『まつろわぬ者』だ。将棋という野蛮な遊戯が、このような戦闘的なヤツを生み出してしまったのだ。将棋も武道などのように禁止しなければならない」
 升田も座って反論した。
「俺の性分は将棋のせいではない。そもそも武道が危険という考えからしておかしい。武道の『武』の字は『戈
(ほこ)を止める』と書く。平和主義この上ない思想ではないか」
「詭弁
(きべん)だ! 戦争を正当化するための言い訳に過ぎない! 将棋が日本人を好戦的にしたのは否めない! ミーは日本の歴史を調べてみた! 案の定であった! 大陸から将棋が伝わり、日本で流行して以降、日本人は好戦的になりやがった! 幕府なる物騒な軍事政権がずっとこの国を支配してきた! 幕府がなくなった明治以降も、日本は軍事国家であり続けた! 将棋という戦争ゲームが日本人を戦争大好きヒャッハーに育て上げてきたのだ!」
「将棋は日本特異の遊戯ではない。将棋に似たような盤上遊戯は世界中に存在する。インドにはチャトランガ、中国にはチャンチー、朝鮮にはチャンギ、そして欧米にもチェスがあるではないか! もし将棋を禁止するなら、これらすべても禁止しなければなるまい。将棋だけを排除する理由は何もない!」
「それが、あるのだ」
「何だと?」
「将棋には、チェスなどにはない大問題がある」
「大問題?」
「そうだ。それこそが将棋だけを禁止にする理由だ」
「大問題とは何か?」
「捕虜虐待だよ」
「捕虜虐待?」
「そうだ」
「よく解らないな。解るように説明していただきたい」 
 ホイットニーは机上にあった将棋とチェスの駒をそれぞれ動かして説明した。
「チェスなどの場合、このように獲った相手の駒は使わない。しかし将棋の場合、このように獲った相手の駒を捕虜として再利用して最前線で戦わせる」
「それがどうした?」
「気づかないのか? こういうのを捕虜虐待というのだ!」
「……」
「捕虜虐待は国際法で禁じられている非人道的行為だ」
「……」
 ホイットニーは勝ち誇った。
「このような非人道的な遊戯は許してはならない! よって今後、将棋は一切禁止にするっ!」

 升田は笑みを浮かべた。
 屈服ではなく、逆襲の笑みであった。
「では、逆に聞こう。チェスでは獲った駒をどうするのだ?」
「獲った駒はもう使わない」
「どうして? 使えばいいじゃないか」
「使えるわけがない。チェスの場合、獲った時点で死んでるからだ」
「死んでる? ほーう、誰が殺したんだ?」
「え……?」
「誰かが殺さなければ死ぬわけがない! さあ! 誰が殺した?」
「そ、それは……」
「獲った駒を再利用する将棋を虐待というのなら、チェスは虐殺ではないかっ!」
「!」
「禁止すべきはチェスのほうであろうっ!」
「ちっ、違うっ!」
「何が違う? 違う箇所を説明してみろ!」
「……」
「だいたい敵駒の再利用は虐待ではない。将棋では、飛車なら飛車、角行なら角行、金将なら金将と、敵にいた時と同じ階級で再雇用している。そればかりか、昇進さえも同じ待遇だ。昇進の基準も単純明快で、敵陣に突入した勇敢な者だけが出世する。世界中にこんなにも人道的で公正な軍隊が他にあろうか?」
「ううう……」
「チェスの問題は虐殺だけではない。チェスのキングは生き残るためならクイーンまで犠牲にして逃亡する。何ということだ! 男としてサイテーの所業ではないか! 男たる者は、愛する女子供を守るためなら死をもいとわぬものである! おまえたちの国にも、レディーファーストという風習があるだろっ!」
「ふぐうう……」
 分が悪くなったホイットニーは攻め口を変えた。
「――チェスと将棋、どちらが悪かを論じても仕方あるまい。はっきりしているのは、連合国が善で枢軸国が悪だったことだ」
「それすら間違っている。戦争をするヤツに善人などいない! 戦争をするヤツ双方が悪なのだ!」
「ユーがどうほざこうと、将棋が日本軍に悪影響を及ぼした事実は否めない。木村が海軍大や各軍隊を回って戦略指導の講演を繰り返していたのは間違いない事実だ。ユーが将棋は悪くないと言い張るのであれば、木村ら将棋指導者たちが悪いことになる。悪人どもはそろって巣鴨
(すがも)に入ってもらわなければなるまい」
 いわゆる「戦犯」の人々が収容されていた巣鴨プリズンである。
 ここでも升田は言い返した。
「木村名人は悪人ではない。悪人どころか、おまえたちにとっては大恩人ではないか! 名人が手加減して戦略指導をしていたから日本は負けたのだ! 俺が本気で戦略指導していたら日本は勝ってしまっていた! 今、おまえたちがのうのうと生きていられるのは、名人のおかげなんだぞっ! そのような大恩人を巣鴨にぶち込むなんてとんでもない!」
「うぬぬ……」
 またまたホイットニーは言い返せなくなった。
 升田はまくしたてた。
「ついでに言っておく。巣鴨にぶち込まれている人々は、おまえたちにとっては『持ち駒』だということを忘れるな! 持ち駒というものは、生かしてこそ力を発揮する! 処刑してしまっては何の役にも立たないぞ!」
「ふっ! 戦犯たちをシャバに出して仕事をさせろとでもいうのか? クレイジーだ!」
「それが持ち駒のないチェスの考え方だ! この国は将棋の国である! おまえたちはこの国を治めている政治指導者だろ! 将棋の考え方を取り入れなければ、この国は治まるまい!」

 論戦はホイットニーの完敗であった。
 勝負がついてからも升田の説教話は五時間も続いた。
 もちろん、空きビール缶を増やしながらである。
 棋士にとって長期戦は苦にならない。
 ホイットニーのほうが先に参ってしまった。
「もう将棋は禁止にしないから、帰ってくれ」
 と、頼んだが、
「まだまだ飲み足らないし、話し足らないぜ」
 升田は帰ってくれなかった。
 そこでホイットニーは一計を案じた。
「おみやげ、あげるから〜」
 と、ウイスキーをあげたのである。
 すると升田は、
「しゃあないな。今日のところはこのくらいにしといたろか」
 と、喜んで帰っていったという。

[2020年6月末日執筆]
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