1.なぜか評判のいい男 | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2019>令和元年11月号(通算217号)金品味 田沼意次賄賂生活1.なぜか評判のいい男
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江戸幕府十代将軍・徳川家治には、「おちほ(篤子)」という愛妾がいた。
書院番士・津田信成の娘で、将軍継嗣・家基(いえもと)を産んだことで、大奥で力を持つようになった。
「どうぞ、ダンナからのお土産です」
「いつも悪いねえ。おいしいお菓子かい?」
「はい。でも、中には食べられないものも」
「ウフッ! 山吹色のアレね。ごちそうさま〜」
「ダンナが出世すれば、もっと『貢献』できるのですが――」
「わかってるわよ。上様(徳川家治)に言っておくわ。主殿頭(とのものかみ。田沼意次)は役に立つ男ですよって」
「ありがとうございます〜」
「お礼なんて言わないわよ。人にいいことをすると、いいことが戻ってくるんだから」
「えへへー」
「うふふーん♪」
田沼意次が妾に贈り物をさせたのは「おちほ」だけではなかった。
周辺の女中たちにもメロンやカニやマンゴー――、もとい、色々な土産物を配って回った。
「田沼さまはいい人」
「気配りの効くお方」
「幸せを運んでくださる福の神」
「お顔もいいし、立ち居振る舞いも御立派」
そのため、大奥での意次の評判はすこぶる良かった。
結果、大奥に入り浸っていた将軍家治の覚えもよく、大名に列せられ、側衆(そばしゅう)にも加えられた。
「わからぬ。田沼は家柄も悪く、さしたる能力もないのに」
意次の出世が理解できない人がいた。
老中・秋元凉朝(あきもとすけとも)である。
ある時、秋元は城中で意次と出くわした。
その時、意次は急いでいたのか、挨拶もせずに通り過ぎていった。
(無視かい)
秋元はムカッとした。
意次の同僚・大岡忠善(おおおかただよし。忠喜)を呼びつけてとがめた。
「田沼に伝えておけ。『上司に会ったら挨拶ぐらいしろよ』とな」
「はい、伝えておきます」
大岡は告げたが、意次は謝罪もしなかった。
(また無視かい!)
秋元はムカついた。
(腹立つ! つぶしたろか!)
が、そのうち秋元家中でこんなうわさが流れた。
「うちの殿様が田沼さまにケンカをふっかけたそうな」
「え! 大奥で大人気の田沼主殿頭さまに?」
「まずいでしょ〜。主殿頭さまは将軍さまの一番のお気に入りなんですよ〜」
「いくらうちの殿様の身分が上とはいえ、主君と女たちを敵に回しては勝ち目はあるま〜い」
「下手したら、切腹を命じられちゃうかも」
(せっぷく!)
秋元はビビってしまった。
(やっかいなヤツに手を出してしまった)
明和四年(1767)六月、秋元はそそくさと老中を辞めた。
同年七月、意次は側用人に任じられた。
後でわかったことだが、意次は秋元家中の人々にも山吹色の手を回していたという。