2.賄賂こいこい | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2019>令和元年11月号(通算217号)味 田沼意次賄賂生活2.賄賂こいこい
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明和六年(1769)、田沼意次は側用人を兼ねたままで老中格になり、明和九年(1772)には老中に昇進した。
いわゆる「田沼時代」の始まりである。
権力者になった意次は、賄賂をあげる側からもらう側になったのである。
「出世したかったら賄賂をくれよ」
意次は武士や町人たちに野暮なことは言わなかった。
賄賂を強制するのではなく、自発的に出すよう誘導したのである。
安永年間に意次の下屋敷が稲荷堀に完成した時のことである。
招かれた客人たちは口々にほめたたえた。
「見事なお屋敷ですねー」
「お庭もすごいすごい」
「お池もきれいですねー」
それでも、意次には不満があるようであった。
「みなさん、何か気がつきませんかな?」
「え、何でしょうか?」
「池の中には何もいない」
「あ!」
「この中にコイやフナなどがいるとおもしろいのだが」
しばらくして意次が再び下屋敷に来てみると、いつの間にか池の中はコイやフナで満杯になっていたという。
また、意次が暑気あたりで寝込んでいた時、見舞客からこんなことを聞かれた。
「近頃は御自宅で何をされているでしょうか?」
意次が、
「枕辺に石菖(せきしょう)を置いて鑑賞している」
と、答えると、二、三日後までに方々から石菖が届けられ、広座敷が二部屋も満杯になってしまったという。