★ 天皇の皇子か? 有力豪族か? 渡来系亡命王族か? 〜 うーん。キトラ古墳の被葬者は、ズバリこの人! |
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キトラ古墳は奈良県明日香村にある円墳である。
名前の由来は、古墳を盗掘した人が、
「亀虎(きとら)の壁画があった」
と、人に話したのが始まりとも、字名「北浦(きたうら)」ががなまって「キトラ」に転じたともいわれている。
修築年代は古墳時代終末期。
飛鳥時代後半(白鳳時代)、七世紀末〜八世紀初めにかけてである。
当然、高貴な人が葬られていると思うが、墓誌なども発見されておらず、被葬者は分からない。
候補者は多くいる。
大別して以下の三分野に分けられる。
皇族
豪族
渡来人
皇族で有力なのが、天武天皇の皇子たち。
天武天皇には十人の皇子がおり、その墓がどこにあるか分からない人が多い。
また、天智天皇の子孫のうち、川島皇子(かわしまおうじ・かわしまのみこ。川嶋皇子)なども候補に挙げられている。
豪族で有力なのが、右大臣・阿倍御主人(あべのみうし。布勢御主人。「阿倍氏系図」参照)。
その名は『竹取物語』にも登場するので、御存知の方も多いであろう(「偽装・金持・仰天味」参照)。
また、同じく登場する大納言・大伴御行(おおとものみゆき)などの名も挙がっている。
渡来人で有力なのが、百済王(くだらのこにきし・くだらのこきし)氏の人々。
百済王氏は白村江の戦で完滅した百済の国王家であり、日本に亡命して帰化、飛鳥時代には準皇族として優遇されていた名族である。
また、坂上田村麻呂の祖先・東漢氏の人々も候補に挙げられている。
今回はこの中から、私なりにキトラ古墳の被葬者をズバリ断定したいと思う。
[2005年3月末日執筆]
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