1.被葬者は豪族か? | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2005>1.被葬者は豪族か?
|
豪族の中で有力だったのが、阿倍御主人である。
藤原鎌足のような実力者でなければ大規模な古墳が造営されることはないが、御主人は持統天皇の宿老であり、右大臣・従一位、政界首班であった。
彼は大宝三年(703)閏四月に六十九歳で没しているので、キトラ古墳の造営年代にも合っている。
ところが、平成十七年(2005)二月、御主人を有力候補者から後退させる決定的な手がかりが示された。
キトラ古墳から発見された人骨、つまり、被葬者の骨の鑑定結果が出たのだ。
「被葬者の年令は五十代の可能性が高い。あごの出た骨太で大柄の男性だったようだ」
これで御主人の可能性は薄まった。
しかもこの当時の他の政界首班の没年は、以下に列挙したように、みな高齢で該当しない。
大宝元年(701)没 | 左大臣 | 多治比島(たじひのしま) | 七十八歳 |
大宝三年(703)没 | 右大臣 | 阿倍御主人(あべのみうし) | 六十九歳 |
霊亀三年(717)没 | 左大臣 | 石上麻呂(いそのかみのまろ) | 七十八歳 |
養老四年(720)没 | 右大臣 | 藤原不比等(ふじわらのふひと) | 六十二歳 (六十三歳とも) |
では、五十代で死んでいる有力な豪族はいないのか?
いないことはない。
大納言・大伴御行(おおとものみゆき。「大伴氏系図」参照)は五十六歳で死んでいる。しかも没年も大宝元年(701)と矛盾しない。
が、彼であるはずはない。
御行は軍人一家・大伴氏の当主である。壬申の乱で活躍した武人である。
その彼が被葬者であれば、刀剣や武具も副葬されているはずである。
しかし副葬品を見ると、被葬者は文人のはずである。おそらく豪族ではないであろう。