3.被葬者は天皇の皇子か?

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キトラ古墳の被葬者は誰か?
1.被葬者は豪族か?
2.被葬者は渡来人か?
3.被葬者は天皇の皇子か?
4.被葬者はズバリこの人!
5.被葬者はエロだった!
    

 こうしてみてくると、やはりキトラ古墳の被葬者は皇族、しかも天皇の皇子クラスの人物でしかありえない。
 中でも最近まで有力視されてきたのが、天武天皇の皇子の一人・弓削皇子
(ゆげおうじ・ゆげのみこ)である。
 が、
「被葬者の年齢は五十代の可能性が高い」
 によって、三十代で死んだとされる弓削皇子の可能性は少なくなった。

 その代わりに浮上してきたのが、その長兄・高市皇子(たけちおうじ・たけちのみこ)
壬申の乱で活躍した彼であれば『骨太で大柄の男性』に、いかにもふさわしいではないか」

 私も被葬者は天武天皇の皇子の中にいると思っている。
 それでも、高市皇子は支持しない。
 高市皇子の没年は、四十二、三歳といわれている。五十代ではなく、四十代初めに死んでいるのである。
 しかも『延喜式』には、彼の墓は「三立岡墓
(みたておかのはか)」だと記されている。彼の墓は高市ではなく、現在の見立山(みたてやま。奈良県広陵町)付近にあったのだ。はっきりした場所は不明だが、なぜか石室が三つあるとされる巣山古墳(同町)などは、いかにも怪しいではないか。

 やはり「五十代の可能性が高い」という鑑定結果が出た以上、被葬者は五十代で死んだ皇子の可能性が高いと思われる。
 つまり、天武天皇の皇子のうち、

  1.墓が明らかにされてなく、
  2.死亡時期が古墳造営期に合い、
  3.五十代で死んだ皇子。

 が、キトラ古墳の被葬者なのであろう。

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