★ 奇論? 暴論? ありえない!? あの人の正体はあの人だった!! 〜 任那(加羅)四県割譲問題の真相と継体天皇の正体!! |
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国境は人為的なものである。
人が勝手に決めたものである。
国が勝手に境目を付けたものである。
太古、人が存在する前は、国境なんてなかった。
人が現れて後も、自然に雑居して暮らしていた。
国ができて後も、自由に行ったり来たりしていた。
「私は倭人だ」
「私は百済人だ」
「私は新羅人だ」
「私は高句麗人だ」
「私は加羅人だ」
そんなことは昔はどうでもいいことであった。
国境は流動的であり、何人かは曖昧(あいまい)であり、すべてのものが混在していたのである。
日本の歴史家は言う。
「古代、倭は朝鮮南部を支配していた!」
韓国の歴史家は言い返す。
「いや、百済こそ九州北部を支配していた!」
意味のない論争である。終わりなき水掛け論である。
なぜならどちらの言い分も正しいからである。
古代、日本は朝鮮を支配し、朝鮮もまた日本を支配していたのである。
そのことは「紙幣味」をお読み下されば、今回の物語を御覧下されば、ますます訳の分からないシャッフル状態に陥っていただけることであろう。
こういうことは論ずることであっても、断ずることではあるまい!
日 本 = 倭
韓 国 = 百済+新羅+任那(加羅)
北朝鮮 = 高句麗
こういった区分はウソである。本当は、
日本+韓国+北朝鮮 ≒ 倭+百済+新羅+任那(加羅)+高句麗
としか区切りようがないはずである。
が、竹島問題は現在進行形の問題である。
第二次世界大戦後、国境が固定し、戦争がなくなった平和な平和な現代のお話である。
国境が固まっているはずなのに、なぜこういう問題が起こるのであろうか?
そう。国境が固まっていない時代の名残が、竹島には残っているだけのことである。
日本は言い張る。
「サンフランシスコ平和条約において、日本は竹島の領有権は放棄していない!」
韓国は言い張る。
「いや。GHQの文書では竹島は韓国領になっているではないか!」
これだけ見れば、分があるのは韓国のほうであろう。
確かに日本は竹島の領有権を「放棄していない」が、「放棄していない」ことを主張してはいなかった。
日本は第二次大戦に敗れてしまったために、竹島は韓国領に編入されてしまったと考えるのが普通であろう。サンフランシスコ平和条約には「取るに足らないもの」として忘れられていただけのことである。
が、GHQの文書には、沖縄や小笠原諸島も含まれていないが、後に返還されている。
つまり日本としては、ロシアに対する北方領土と同様、韓国に対しても竹島の返還を求める権利は有しているはずである。
だから、
「竹島は日本の領土だ」
などと主張せず、
「今は韓国が実効支配しているけど、もともとは日本の領土だったのだから返してほしい」
と、改めて請求すべきなのではないであろうか?
ただ、個人的には「小さな島」の返還に力を注ぐより、「大きな島」の返還に全力を注いでほしいものである。
次の海洋調査はぜひ、北方領土と樺太近海でやってもらいたい。
借金は集金に行かなければ、なかなか返してもらえないものである。
また、「一つを請求して一つを返してもらう」より、「二つを請求して一つを返してもらう」ほうが返してもらえやすいものである。
樺太が日本固有の領土であることは、後から開拓に来たロシアも承知のはずである。
何も日本は北方領土返還だけにこだわることはあるまい。
「樺太と北方領土を耳をそろえて返してください!」
そうロシアに迫るべきであろう!
両方請求して一つぐらいは返してもらえるような流れになれば、シメシメである。
少なくとも、
「竹島強奪は日帝による韓国併合の序章だ!」
むやみに韓国の「怨念」をたたき起こすより、ソ連(ロシア)の「後ろめたさ」を責めるほうが正道だと思うが……。
* * *
はい。今回は日本最古の汚職事件の発端となった「任那四県割譲問題」のナゾを解き、伝二十六代大王・継体天皇(「天皇家系図」参照)の正体を探ってみたい。
今回の奇説は日本はおろか韓国の方々も騒然の暴論?なので、賛同される方はもちろん、反発される方も「一歴史愛好家の単なるたわごと」として御覧いただきたい。
具体的には以下の十のナゾを解いていこうと思う。
1.穂積押山(ほづみのおしやま)は百済に何をしにいったのか?
2.大伴金村は百済に何をしてほしかったのか?
3.なぜ金村は百済にあっさりと任那四県を割譲したのか?
4.なぜ継体天皇(けいたいてんのう)は大和ではなく河内で即位したのか?
5.なぜ継体天皇は大和に入るまで二十年の歳月を要したのか?
6.継体天皇の正体は何者なのか?
7.なぜ大伴氏は大阪湾近辺に勢力を持ったのか?
8.なぜ大伴氏には百済との交渉役が多いのか?
9.なぜ『記紀』には金村の没年が記されていないのか?
10.なぜ仏教は欽明天皇の時代に百済の聖明王(せいめいおう。聖王。ソンワン)によって伝えられたのか?
まず、任那四県割譲問題がどんなものなのか、『日本書紀』の記述を基に紹介したい。
[2006年4月末日執筆]
参考文献はコチラ