本文2.継体天皇の即位 | ||||||||||||||
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武烈天皇八年(506)十二月、伝二十五代大王・武烈天皇(ぶれつてんのう)は五十七歳(本当は十八歳であろう)で没した。
武烈天皇には子がなく、太子も定めていなかった。
そこで大連・大伴金村らは丹波の桑田郡(くわたぐん。京都府亀岡市など)にいた仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)五世孫・倭彦王(やまとひこのおう・やまとひこのおおきみ)に大王になってもらうために軍勢を遣わしてお願いに行った。
が、軍勢を見た倭彦王は恐怖し、山の中に隠れて行方をくらましてしまった。
そのため金村は継体天皇元年(507)一月、越前の三国(みくに。福井県坂井市)にいた応神天皇(おうじんてんのう)五世孫・男大迹王(おおどおう)の即位を提案、大連・物部麁鹿火(もののべのあらかひ・あらかび)、大臣・巨勢男人(こせのおひと)らの賛同を得てお迎えを遣わしたのである。
が、男大迹王は疑って応じなかった。
「私が大王だと。ありえない」
そこで男大迹王と顔見知りだった百済系渡来人・河内馬養荒籠(かわちのうまかいのあらこ)を遣わして説得させ、なんとか二月に河内樟葉宮(かわちのくすはのみや。大阪府枚方市)にて彼を即位させることに成功したのであった。