1.立案!ハワイ作戦!!

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北朝鮮ミサイル発射問題で浮上した「敵基地攻撃論」
1.立案!ハワイ作戦!!
2.出撃!第一航空艦隊!! 
3.奇襲!真珠湾攻撃!! 
4.熱弁!「汚名の日」演説!!

 連合艦隊司令長官(海軍実戦部隊のドン)山本五十六(やまもといそろく)海軍大将は、父親が五十六歳のときに生まれたので「五十六」である。
 山本は太平洋の地図を眺めながら、黙々とみかんを食べていた。
 みかんは彼の好物で、いっぺんに四十七個も食べて盲腸になっちまったこともあるが、好きなものは止められないものである。
 ほかにはウルメイワシや団子なども大好きであった。
(どうすればいい?)
 山本はみかんの房を手に考えた。

 すでにアメリカ・イギリスと戦うことは決まっていた。
 どうして戦うことになったかは、すでに「2005年3月号 制裁味」にあるので省略させていただく。

 昭和十六年(1941)九月五日夜、昭和天皇は軍令部総長(海軍のドン)永野修身(ながのおさみ)海軍大将、参謀総長(陸軍のドン)杉山元(すぎやまはじめ)陸軍大将を呼んで聞いた。
「米英相手に戦争をして、本当に勝てるのか?」
 杉山は答えた。
「南方作戦は五か月で終わります」
 昭和天皇は疑った。
「どうかな。汝
(なんじ)は陸相(陸軍大臣)のとき、支那はすぐに制圧できると言っていたが、いまだにできていないではないか」
支那は広いですから〜」
「太平洋はもっと広いではないか!」

 翌九月六日、御前会議が開かれ、十月下旬までに対アメリカ・イギリス・オランダ戦の準備を完了させる旨の「帝国国策遂行要領」が決定された。
 ただし、昭和天皇は、
「最後の最後まで日米交渉を優先すること」
 と、念を押し、明治天皇の歌を詠んだ。

  四方の海みな同胞と思ふ代になど波風の立騒ぐらむ

 このとき杉山は、
「背中に冷や汗が流れるのを感じた」
 と、いう。

「陛下は戦争をお望みではない」
「だが、米英蘭と戦わなければ資源は確保できない。アブラがなければ戦争はできないし、鉄がなければ武器も作れない」
「アメリカに経済制裁を解除してもらうのが一番なのだが……」
「アメリカの要求は中国仏印からの完全撤退だ! 受け入れるはずがない!」
「かといって米英蘭と戦って勝てるのか?」
「敵は米英蘭ではない! アメリカだけだ! すでにオランダは壊滅し、イギリスも今にドイツに降伏するであろう!」
日本に戦う気がなくともアメリカはすでにやる気だ。太平洋艦隊をハワイに常駐させ、いつでも出撃できる態勢を整えている。そう! 日米はすでに対決局面に突入しているのだっ!」
「攻められる前に攻めるべし! 勝てばすべては解決する! 勝利を重ねることが陛下のお心変わりを誘発させるのだっ!」

(日米交渉は決裂する。戦争は避けられない状況にきている。どうせ避けられないのであれば、短期で戦争を終わらせて被害を最小限に抑えるしかない。緒戦で勝利し、優位な戦況で講和に持ち込む。これしか方法はあるまい)
 山本はみかんの房の筋を丁寧に取り除いた。
(問題は、どうすれば優位に持ち込めるかだ)
 山本はそれを考えていたのである。
 彼は房をかんだ。
 ぷちっ!
 みかんの汁が地図上に飛んだ。
 飛んだところはハワイであった。
 ハワイはアメリカ太平洋艦隊の根拠地である。
(敵基地攻撃!)
 山本はひらめいた。
(そうだ! いきなり王手と行こう! 敵本陣を奇襲し、一気に決着をつける!)

 軍令部第一課長・富岡定俊(とみおかさだとし)海軍大佐がノックして入ってきた。
 富岡は地図をにらんでいた山本を見て、ニヤっとして聞いた。
「戦略の構想ですか?」
 が、山本がハワイを凝視しているのを見て、笑みが止まった。
「ま、まさか長官は……」
「……」
「戦争は敵の弱いところを突くのが常道! ハワイは敵の本拠地、最強の中の最強ではありませんか! 私は反対です! まずは資源の確保、手薄な南方を先に制圧するべきかと!」 
「いや。それでは長期戦になる。戦争は短期で終わらせなければならない」

 山本は、第一連合航空隊司令官・大西滝治郎(おおにしたきじろう)海軍少将、第一航空艦隊参謀長・草鹿竜之介(くさかりゅうのすけ)海軍少将、連合艦隊司令部先任参謀・黒島亀人海軍大佐、第一航空艦隊参謀・源田実(げんだみのる)海軍中佐らに作戦を練らせた。

 が、草鹿は反対し、作戦中止を訴えた。
 ちなみに彼は無刀流剣道の達人である。
「反対する理由は三つであります。第一に、連合艦隊は近海迎撃用に設計されており、遠方まで燃料が持つようには造られておりません。第二に、こちらの航空機はかき集めても四百機足らず、ハワイにはすでに五百〜一千機集まっている可能性があります。数的不利は否めません。第三に、ハワイは遠方過ぎて敵の動向がつかみづらいこと。着くまでに敵に察知されて逆に攻められたり逃げられたりしてしまっては元も子もありません。それより先にソロモン・ニューギニア・ビルマ
(ミャンマー)を制圧することです。そうすればアメリカは必ず出てきます。敵を自庭におびき出した上で一気に殲滅(せんめつ)するのが上策かと」
「私もそう思いますな。いきなり真珠湾攻撃とは、大バクチですよ」
 第一航空艦隊司令長官・南雲忠一
(なぐもちゅういち)海軍中将も共に反対したが、山本の決意は固かった。
「私はハワイ作戦失敗の際には長官を辞する覚悟だ! 日清戦争は北洋艦隊を壊滅させられて降伏した! 日露戦争のロシアはバルチック艦隊を壊滅させられて降伏した! この戦争のアメリカは太平洋艦隊を壊滅させられて降伏するのだ! そう! この戦いは桶狭間
(「2002年7月号 最強味」参照)と一の谷と川中島(「2005年1月号 撤退味」参照)を、一度にやるようなものなのだっ!」

 昭和十六年(1941)十月十九日、海軍は山本の主張を入れ、日米開戦時には真珠湾を先制攻撃することを予定、十二月一日の御前会議で開戦方針を決定した。
 また「決行日」は十二月八日の月曜日
(日本時間)に決められた。
 永野修身軍令部総長が、
「攻撃は敵が休み明けでぐったりしている月曜日が望ましい」
 と、言ったためである。
 ただ、日本とアメリカとの間には日付変更線があるため、その日はアメリカでは前日十二月七日の日曜日なのであった。

 一方、アメリカではルーズベルト大統領とスチムソン(スティムソン)陸軍長官が話していた。
「ジャップはどこで暴発するであろうか?」
「フィリピン、ビルマ、マレー半島、ニューギニア――。いずれにしても南方でしょうな」
「フフフ、オイルがなければ艦隊は動けぬか」
「南シナ海に『ラニカイ』なるおとり砲艦を派遣してあります。攻撃プリーズというように」
「で、ジャップが攻撃してきたら、待ってましたと倍返し」
「うまくいきますかな。日本には『肉を切らせて骨を切る』という言葉があるそうですが」
「切られるミートは小さいほうがいい」
「ハワイ奇襲という流言も飛び交っていますが……」
「ハッハッハ! ジャップのオモチャ艦隊がハワイまで誰にも見つからずに燃料も切らさずに航海できるわけがないではないか! それにハワイには太平洋艦隊の大ボス・名将キンメル海軍大将がいる。『飛んで火にいる夏の虫』でもあるまいに!」

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