3.奇襲!真珠湾攻撃!!

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北朝鮮ミサイル発射問題で浮上した「敵基地攻撃論」
1.立案!ハワイ作戦!!
2.出撃!第一航空艦隊!! 
3.奇襲!真珠湾攻撃!! 
4.熱弁!「汚名の日」演説!!

 昭和十六年(1941)十二月八日午前一時半(日本時間)、空母赤城飛行隊長・淵田美津雄(ふちだみつお)海軍中佐率いる真珠湾第一次攻撃隊十六隊百八十三機が空母六隻から飛び立った。
 その編制は右のとおり。

真珠湾第一次攻撃隊陣容
参加隊名
(隊数)
指揮官
(搭乗機)
任 務
水平爆撃隊
(四隊)
淵田三津雄海軍中佐
(九七式艦上攻撃機)
湾内内側の艦列の爆撃
雷撃隊
(四隊)
村田重治海軍少佐
(九七式艦上攻撃機)
湾内外側の艦列の爆撃
降下爆撃隊
(二隊)
高橋赫一海軍少佐
(九九式艦上爆撃機)
各飛行場の爆撃
制空隊
(六隊)
板谷茂海軍少佐
(零式艦上戦闘機)
敵機の要撃

 八日はハワイ時間では七日の日曜日である。
 その朝、アメリカ太平洋艦隊司令長官・キンメル海軍大将は何も知らずに朝食をとっていた。
「近々、日本が攻めてくるそうだ」
「ここにですか?」
 ハワイ方面軍司令長官・ショート海軍中将が驚いたように言って笑った。
「まあ、来てくれるのも結構ですが、相手にはならないでしょう。ジャップには近眼が多くてまともなパイロットはいないそうですね。目が細いから視界も狭くて射撃は苦手、短足で歩幅も狭く、飛行機に乗り込むのも一日がかり」
「そんなヤツおらへんやろ」
「それに、ジャップの飛行機はいまだ複葉機ばかりと聞いています。しかも材質が布や木なんで、過ってタバコの火を落としただけで炎上墜落するパイロットもいるとか」
「そんなヤツおらへんやろ」
 キンメルは一枚の飛行機の写真をショートに差し出した。
 ショートは聞いた。
「何ですかこれは? ドイツの戦闘機ですか?」
 キンメルは答えた。
「シェンノート退役少将の報告書にあった日本の最新戦闘機『ゼロファイター
(零戦)』だ。とても現在のアメリカの戦闘機では太刀打ちできないツワモノだそうな」
「ハハハ! そんなバカな! 信じられないっすね!」
 ショートは笑い飛ばした。

 どーん!
 そのとき、遠雷のような爆発音がした。
「な、なんだ? 何が起こったんだ?」
「な、何でしょう?」
 下士官から報告があった。
「飛行場が燃えています!」
「事故か?」
「分かりません」
「お、何だあれは! 空になんか飛んでいるぞ!」
「飛蚊症
(ひぶんしょう)か?」
「違う! 戦闘機だ!」
「なんで!? 友軍の演習か!?」
 キンメルが双眼鏡をのぞいた。
 そして、機体に独特の赤丸を確認し、ハッと零戦の写真を見比べて慌てふためいた。
「違う! ゼロファイターだ! 敵襲だー! 戦闘配置に着けーっ!」

 真珠湾に二百五十キロ陸用爆弾の第一撃をお見舞いしたのは、高橋赫一(たかはしかくいち)搭乗の九九式艦爆である。
 午前三時十九分
(ハワイ時間は前日の午前七時四十九分)、淵田美津雄隊長は、
いわゆる「ト連送」を電信させた。
「ト! ト! ト! ト! ト!
(全軍突撃せよ!)
 だだだだーん!
 ぎゅいーん!
 どかーん!
 ぐあーん!
 真珠湾にはあちこちから次々と火柱水柱が上がった。
 数分後、淵田は今度は「トラ連送」を電信。
「トラ! トラ! トラ!
(われ奇襲に成功せり!)

「フォード飛行場から黒煙!」
「ヒッカム飛行場、燃えています!」
「ホイラー飛行場炎上ー!」
「戦艦アリゾナ被弾爆発ー!」
「オクラホマ魚雷数発命中、転覆ー!」
 アメリカ軍はわけも分からずあたふた逃げ惑うばかりするばかりであった。
「何がどーなってんの!?」
「演習にしては派手でにぎやかすぎるぞ」
「オレなんか飛行機に手を振ってやったら、このとおり手がなくなっていた」
「えーい、何をしている! 敵襲だ! 防戦に行かんかーっ!」
 かろうじて四機が迎撃に舞い上がったが、待ち構えていた零戦制空隊によって即全機撃墜された。

 約一時間後、今度は空母瑞鶴飛行隊長・島崎重和海軍少佐率いる第二次攻撃隊百数十機が来襲。
「うわっ!また来た!」
「今度こそやり返せ! 返り討ちにせよっ!」
「戦闘機がほとんどやられて飛び立てませーん」
「クソ野郎! 基地・艦船から砲撃だーっ!」

 ばりばりばり!
 ずーん!
 ぶごぉーん!
 ざばーん!
「ユタ沈没ー!」
「ネバダ、ペスタル座礁ー!」
「アリゾナ、カーチス、共々ブクブクいうとりますー!」
 キンメルもショートもひっきりなしの悲報と信じられない眼前の惨状に頭を抱えた。
「オーマイゴットォー!!」
「こんなのは現実じゃない! 悪夢だ! 二度寝しよっ!」

 この二次の襲撃で日本は真珠湾内にあった戦艦八隻(四隻撃沈、四隻大破)を全滅させ、その他多数の艦艇及び航空機五百余機を破壊、二千四百名を殺害し、二千四百名弱を負傷させた。
 ただ、空母エンタープライズなどはお出かけ中だったため攻撃を免れた。
 また、太平洋艦隊旗艦・戦艦ペンシルベニアは湾内にいたものの、たまたま「船舶ドック」に入っていたため命拾いしている。後に彼は戦艦長門とともにビキニ環礁原爆実験「十字路作戦」に供されることになるのである
(「2005年8月号 軍艦味」参照)
 対して日本側の被害は航空機二十九機、特殊潜航艇五隻、死者は数十人
(特殊潜航艇員・岩佐直治海軍大尉ら)、捕虜一人(特殊潜航艇員・酒巻和男海軍少尉)と微少であった。

 攻撃隊帰還後も山口多聞第二航空戦隊司令官は次なる攻撃を予定していた。
「軍需工場や重油タンクにも攻撃を加えてアメリカの再起を遅らせるべきだ」
 が、草鹿竜之介参謀長に退けられた。
「この戦いは無刀流剣道奥義『金翅鳥王剣
(きんしちょうおうけん)』を採った。『金翅鳥王剣』は一撃必殺の奥義で、二度目の攻撃はない。ハワイはもう死んでいる」

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