2.久米川の戦(1333.5/12)

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紛争に明け暮れる世界
1.小手指原の戦(1333.5/11)
2.久米川の戦(1333.5/12)
3.第一次分倍河原の戦(1333.5/15)
4.第二次分倍河原の戦(1333.5/16)

 五月十二日、新田義貞は早起きした。
「気分のいい朝だ」
 脇屋義助も早起きした。
「こんな日は戦争だ!」
「そうだ!戦だ!朝駆けだ!みなの者をたたき起こせ!」
 新田軍は入間川を渡った。
 義貞は八国山
(東京都東村山市)に登って偵察した。
 上野下野常陸安房相模駿河信濃甲斐八か国の山々を見渡せることから名づけられた山で、義貞が上ったとされる場所は「将軍塚」と呼ばれるようになる。
「援軍はまだ来ていないようだ。みなの者、とっとと攻め込むぞー!」
「おおー!」

現在の久米川周辺(東京都東村山市)

 新田軍は久米川を渡った。
 そこは幕府軍の陣所であった。
 桜田貞国は寝ていた。
「敵襲!」
 聞いて飛び起きた。
「もう来た!」
 さっそく態勢を整えた。
 軍勢を広げ、包み込むようにつぶそうとした。
 しかし義貞はひとかたまりになって弾丸のように攻めてきた。
 分散した幕府軍は崩壊した。
「撤収!」
 貞国は退却命令を出した。

 幕府軍は多摩川(たまがわ)の分倍河原まで撤退した。
「追撃しますか?」
 義助はまだやる気であったが、義貞は制した。
「敵地での深追いは危うい。どこから援軍が出てくるか分からぬ。これで新田の強さは東国中に広まるであろう。しばらく兵馬を休めるとしよう」

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