2.声援を衝け

ホーム>バックナンバー2022>令和四年8月号(通算250号)凶弾味 血盟団事件2.声援を衝け

安倍元首相射殺
1.標的共の13人
2.声援を衝け
3.危険がくる

 まず動いたのは西園寺公望暗殺担当の池袋正釟郎ら。
 池袋らは西園寺邸近くの清見寺
(せいけんじ。静岡市清水区)で張り込んだが、さすがは幕末維新から昭和まで生き残ってきた「最後の元老」西園寺である。
「今日は何やら嫌な予感がする〜」
 外出する時間をちょくちょく不規則に変えてきたため、なかなか暗殺を実行に移すことができなかった。
「何だこのじいさん! 行動パターンが読めねえ!」

 続いて動いたのは牧野伸顕暗殺担当の四元義隆。
 四元と牧野の親戚同士が知り合いだったため、
「何とか頼むよ〜」
 そのつてで面会しようと試みようとしたが難しかった。

 一方、池田成彬担当暗殺担当の古内栄司は日本橋で張り込み、三井本社への出社時を襲うことにした。
 が、お偉方はめったに出社しないようで、襲撃の機会がなかった。
「クソッ! 働き者ならねらいやすいのにっ!」

 昭和七年(1932)二月九日、ついに最初の暗殺成功者が現れた。
 井上準之助暗殺担当の小沼正である。
 これより先の二月六日、小沼は井上日召からアジトに呼ばれた。
 アジトとは、代々木上原
(東京都渋谷区)にあった日召の盟友・権藤成卿(ごんどうせいきょう)邸の敷地内にあった、いわゆる「権藤空き家」である。
 日召はそこで小沼に拳銃を手渡した。
「必ず成功させろ」
「了解」
 小沼は大洗に行って拳銃を試射し、母親に会うため実家に宿泊、七日朝に暗殺を実行するため再び上京した。
 去る一月二十七日に犬養毅首相が衆院を解散していたため、当時は選挙戦の真っ最中であった。
(ホシは必ず応援演説にやって来る)
 小沼は準之助が現れそうな演説会場を回ったが、姿を見かけることはかなわなかった。

 九日の朝、小沼はポスターで準之助が本郷追分(東京都文京区)の駒本小学校に来ることを知った。
「今夜、民政党の駒井重次先生の演説会に井上準之助前蔵相が御来場します!」
(好機到来!)
 小沼は歓喜した。
 昼間はビリヤードや映画で時間をつぶした後、夕方に駒本小学校に行った。
 午後八時頃、準之助が車から現れた。
「あ、井上前蔵相!」
「井上さーん!」
「準ちゃーん!」
 通用門で準之助を歓迎したのは、群衆の声援だけではなかった。
 パン!パン!パン!
 乾いた音が三発した後
(四発とも)準之助は傾いた。
「うっ」
 待ち構えていた小沼が準之助の腰に向けて発泡したのであった。
(やったぜ! 南妙法蓮華経〜)
 準之助は振り向くと、
「痛いな、コノヤロー!」
 ぼかん!
 小沼をステッキで殴りつけた後、どうと崩れ落ちた。
「暴漢だー!」
 異変に気がついた駒井重次が小沼に飛びかかると、
 バタン、きゅ〜。
 大内刈りで瞬殺気絶させてしまった。

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