1.それが答えだ! | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2016>1.それが答えだ!
|
冷泉天皇 PROFILE | |
【生没年】 | 950-1011 |
【別 名】 | 憲平親王・冷泉院 |
【本 拠】 | 内裏(上京区)→冷泉院(中京区) |
【職 業】 | 皇族 |
【役 職】 | 皇太子(950-967) →天皇(967-969)→上皇(969-1011) |
【 父 】 | 村上天皇(醍醐天皇皇子) |
【 母 】 | 藤原安子(藤原師輔女) |
【関 白】 | 藤原実頼 |
【兄 弟】 | 広平親王・致平親王・為平親王・昭平親王・昌平親王 ・守平親王(円融天皇)・皇子某・具平親王・永平親王 ・承子内親王・理子内親王・保子内親王・規子内親王 ・盛子内親王・楽子内親王・輔子内親王・緝子内親王 ・資子内親王・皇女某・選子内親王 |
【 妻 】 | 昌子内親王・藤原懐子・藤原超子・藤原フ子 |
【 子 】 | 師貞親王(花山天皇)・居貞親王(三条天皇) ・為尊親王・敦道親王・貞宗子内親王 ・尊子内親王・光子内親王 |
【側 近】 | 藤原兼家・藤原登子ら |
【墓 地】 | 桜本陵(京都市左京区)・火葬塚(京都市左京区) |
朕(ちん)の父上(村上天皇)にはオンナがいっぱいいた。
そのため父上は、あまり母上(藤原安子)のところには来なかった。
朕は父上と遊びたくて、母上に聞いた。
「ちちうえは、つぎ、いつくるの?」
「さあね」
父上にはお気に入りのオンナがいた。
藤原芳子(ふじわらのほうし)という美髪女で、通称「宣耀殿(せんようでん)の女御(にょうご)」。
「ちちうえは、あのカミナガオンナのところにいるの?」
「知らないわよ!」
母上は怒った。
「何よあのアマ! ちょっと髪が長いだけで、いい気になるんじゃないわよ!」
ちょっとどころではなかった。芳子の髪の長さは、現在の単位で五メートルぐらいはあった。
「ながすき〜。オバケみたいだね〜」
「そうよお化けよ! あんたの父上はバケモノに取りつかれているのよ!」
ブリブリ怒っていた母上だったが、突然思い出し笑いをした。
「この前、あんたのスケベオヤジと髪長オバケが乳繰り合っていたところにいきなり押しかけて、こう聞いてやったわ。『あなたって、私とその女とどっちが好きなの?』って。そしたらアイツ、こう言いやがった。『安子より〜、普通に〜、芳子が好っき〜!』って。私は悔しくて、土器を投げつけてやったわ!
その時の二人のマヌケヅラったら、傑作だった! プヘヘッ!」
「キャッキャッ!」
得意げな母上を見て、朕も喜んだ。
「ははうえ、つおーい!」
朕はスケベオヤジも髪長オバケも嫌いになった。
しばらくして、スケベオヤジ――、いや、父上がやって来た。
「おう、ノリ太子か」
朕の名前は憲平(のりひら)。
天暦四年(950)七月に生後二か月で皇太子にされ、この時は五歳ぐらいになっていた。
「遊んでやろうか?」
独りで遊んでいた朕に、父上が抱きついてきたが、朕はいやいやをした。
「なんだ、太子まで怒っているのか?」
父上は甘えてきた。
「なあ、仲良くしようよ〜う。太子と仲良くしないと、太子の母上とも仲直りできないんだよ〜う」
朕がそれでも独りで遊んでいると、父上は作戦を変えた。
「よし、じゃあ、文通することにしよう!」
「ぶんつう?」
「ああ。朕が太子に手紙を書くから、太子も朕に返事の手紙を書くんだ」
そう言うと父上は、紙に筆で、
「なかよくしよう」
と、書いて渡してきた。
「さあ、太子も何か返事を書いて」
父上が筆と新しい紙を渡してせかした。
「さあさあ、書いてって」
朕は気が進まなかった。
だから、字を書かずに絵を描いて突き返した。
「はい」
「もう書けたか」
父上がその絵を見て首をかしげた。
「うーん。これっていったい何の絵だい?」
朕はフッと笑うと、その正体を教えてあげた。
「『ち○こ』だよ」
「!」
父上はむなしく帰っていった。