1.横 取 〜 藤原道長内覧!

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1.横取〜 藤原道長内覧
2.確執 〜 左近衛陣の口論と七条大路の乱闘
3.ボロ 〜 花山法皇襲撃事件
4.決着 〜 藤原伊周・隆家兄弟左遷

藤原道長ら関係図 長徳元年(995)、都を天然痘(てんねんとう)の嵐が吹き荒れた。
 人々はバタバタと倒れ、五位以上の官人六十名以上が死亡、権中納言(ごんちゅうなごん)以上の閣僚十四人中八人があの世へ旅立っていった
(「テロ味」参照)

 最高権力者である関白藤原道隆(みちたか)は四月十日に死んだ。
「ぜひとも我が息子伊周
(これちか)関白後継に」
 道隆は、死ぬ間際に一条天皇
(いちじょうてんのう)に懇願していたがかなわず、次兄・道兼(みちかね)関白職を継承した。
「トンビのようにかすめ取ってやったぞ」
 その道兼も五月八日に死んでしまう。

 伊周は叔父の死を喜んだ。
「やった! これで次の関白はボクだ」
 ほとんど確信していた。
 だいたい自分より地位が高い者は生き残っていない。このままいけば、ところてん式に自分は関白へと押し出されるはずだった。

藤原道隆政権閣僚
(995当時)
官 職 官 位 氏 名 年 齢
関 白 正二位 藤原道隆 43歳
左大臣 正二位 源 重信 74歳
右大臣  正二位 藤原道兼 35歳
内大臣 正三位 藤原伊周 22歳
大納言 正二位 藤原朝光 45歳
大納言 正二位 藤原済時 55歳
権大納言 従二位 藤原道長 30歳
権大納言 正三位 藤原道頼 25歳
中納言  従二位 藤原顕光 61歳
中納言  従二位 源 保光 72歳
中納言 正三位 藤原公季 39歳
権中納言 正三位 源 伊陟 59歳
権中納言 正三位 源 時中 54歳
権中納言 正三位  藤原懐忠 61歳
※ 赤字はこの年に死亡。

 左に長徳元年当初の閣僚を列挙するが、うち赤字で示したものはこの年に没した者である。

 三日後、一条天皇は内覧(準関白)を発表した。
 指名されたのは、伊周ではなく、道長だった。道長は道隆の末弟で、伊周の叔父である。
「ウソだ!」
 伊周は耳を疑った。
 自分は一条天皇中宮・藤原定子
(ていし)の兄である。天皇の義兄である。義弟が自分を裏切るはずはなかった。
「なぜだ? なぜボクでなくて道長叔父なのか?」
 理由はすぐに分かった。
 一条天皇は、
道長にしなさい」
 という生母・東三条院
(ひがしさんじょういん)藤原詮子(せんし)の強制に従ったまでなのだ。当年十六歳の少年天皇にとって、母親の命令は絶大である。
 詮子は伊周の叔母で、道長の姉である。道長はいつのまにか姉をたらしこんでいたわけだ。

 六月、道長は伊周を飛び越えて右大臣に昇進、氏の長者(藤原氏当主)となり、名実共に伊周の上に立った。
 伊周は悔しかったであろう。 
「汚い! 道長叔父は汚すぎる!」
 このままですむはずがなかった。

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