4.潜 入 | ||||||||||||||
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内管領長崎高資の子・長崎高重は、幕府軍随一の猛将であった。
これまで多くの戦いに参加してきたが、とうとう手勢はわずか百五十騎ばかりに減ってしまっていた。
「次が最後の戦いだ」
高重は覚悟を決めた。
「新田義貞の首一つをねらうしかない」
まず、高重は北条高時らの籠る東勝寺にあいさつに行った。
「長崎二郎高重、これから最後の戦いに挑みます。義貞本陣に奇襲を仕掛け、義貞の首を取って帰って参ります。勝っても負けても必ず帰って参ります。どうか私が帰参するまでは、ゆめゆめ御自害などなされないよう、お願いいたします」
高時は承知した。
「わかった。雁首(がんくび)そろえて待っている」
次に高重は崇寿寺(そうじゅじ・すうじゅじ)を訪れた。
「たのもー」
元亨元年(1321)に南山士雲(なんざんしうん)が開山、高時が開基した臨済宗寺院である。
住職の南山士雲が出てくると、高重は問うた。
「勇士とは、いかにすべきか?」
南山士雲は力強く答えた。
「激しく剣をふるって進撃するのみ!」
高重は吹っ切れた。合掌して一礼した。
門を出て名馬「兎鶏(とけい)」に乗ると、百五十騎の配下に命じた。
「みなの者、笠標(かさじるし。笠符)を捨てよ」
笠標とは、敵味方を区別するために兜(かぶと)に着けた印である。
配下の武士たちはぶうたれた。
「え〜!笠標取っちゃったら、敵か味方か分からなくなっちゃうよ〜」
「だからいいのだ。我ら百五十騎はこれより新田軍に紛れ込む。我らは敵が混乱する中、ただ一人、新田義貞の首をねらえばいい。この戦、ヤツさえ討ち取れば勝てるのだ!行くぞっ!」
「おおー!」
長崎勢は気づかれないよう静かに新田軍に近づいた。
じりじりと少しずつ近づいて同化しようと考えたのである。
でも、気づかれてしまった、
「笠標を付けない敵味方不明の怪しい集団がこちらに近づいています!」
義貞配下の由良新左衛門(ゆらしんざえもん)に見破られてしまった。
「あれは長崎二郎高重の軍勢だ。我らは小手指原でも久米川でも分倍河原でもヤツらと戦ったため覚えている(「交戦味」参照)。見よ!あれが高重の愛馬『兎鶏』よ!」
新田軍は身構えた。
高重は号令した。
「見破られたら仕方ねえ!全員義貞の首へ向かえーっ!」
「おおーっ!」
高重は馬上から刀を振り回しながら義貞を捜した。
「義貞はどこだ?いなければ脇屋義助(わきやよしすけ)でも構わない!出会え!俺と勝負しろっ!」
「はーい、出会いましたー」
高重の前に騎兵が立ちはだかった。
「誰だお前は?」
「武蔵国の住人、横田太郎重真(よこたたろうしげざね)!」
「知らねえな!雑魚はどけっ!」
「どかない〜」
横田は太刀を振りかざして向かっていったが、
ひょい!
高重にかわされ、
ばちこん!
「あぶし!」
兜をかち割られて死んでしまった。
「ひーん!」
その時同時に馬も斬られ、尻もちついて倒れてしまった。
「同じく武蔵国の住人、庄三郎為久(しょうのさぶろうためひさ)!」
続いて歩兵が飛びかかってきた。
「だから、雑魚には用はないっつーの!」
高重は飛び込んできたそいつの背中の鎧のひもをつかむと、
ぶーん!
豪快に敵兵の中に投げ飛ばしてやったところ、
「おわた!」
「あっし、圧死!」
二人が下敷きになって血を吐いて息絶えた。
高重は高揚した。
「やあやあ我こそは桓武天皇の第五皇子、葛原親王(かずわはらのしんのう。「平城味」参照)三代孫、平貞盛より十三代、前内管領長崎入道円喜(えんき)の嫡孫、二郎高重が武恩を報ぜんために討ち死にするぞっ!手柄を立てたい者は、遠慮なく組みに来いっ!」
これには郎党が慌てて馬で立ちふさがって制止した。
「殿!討ち死になんてしてはなりません!東勝寺で得宗様がお待ちではありませんか!勝っても負けても必ず戻ると約束したではありませんか!」
高重は我に返った。
「わりいわりい。敵を追い回すのがおもしろすぎて、すっかり忘れてたよ」