● 四条天皇のミス

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ミス
★ 四条天皇のミス 

 四条天皇は寛喜三年(1231)二月十一日に京都室町(京都市上京区)で生まれた。名は秀仁(みつひと)。同年十月に皇太子となり、翌年十二月に数え二歳で天皇に即位した。まさに生まれながらの天皇といえよう。

 当然、彼に実権はなかった。父の後堀河上皇(ごほりかわじょうこう)が後見人として院政を執り、外祖父の九条道家(くじょうみちいえ)や、その岳父(妻の父)・西園寺公経(さいおんじきんつね)が朝廷の実権を握っていた。
 また、東国には鎌倉幕府という独立した政府があり、三代執権北条泰時が威を張っていた。承久の乱以後、幕府は朝廷以上の存在になっている
(「栄光味」参照)
 四条天皇は天皇でありながら、頭の上がらない人々が大勢いたのである。

四条天皇 PROFILE
【生没年】 1231-1242
【別 名】 秀仁親王
【出 身】 京都室町(京都市上京区)
【職 業】 皇族
【役 職】 天皇(1232-1242)←皇太子(1231-1232)
【 父 】 後堀河天皇(守貞親王王子)
【 母 】 藻壁門院(九条道家女)
【兄 弟】 暉子内親王(室町院)・体子内親王
・c子内親王・イ子内親王(イ=日+韋)
・皇子某・順子内親王
【 妻 】 藤原彦子(九条教実女。宣仁門院)
【墓 地】 月輪陵(京都市東山区)

 仁治三年(1242)、四条天皇が十二歳になっても、この状況は変わらなかった。
「陛下はおとなしく遊んでいれば平和なんだよ」
 九条道家はそう言って、遊び相手に孫娘を「お嫁さん」として与えた。九条彦子
(くじょうげんし。後の宣仁門院)、四歳年上のお姉さまである。

 しかし、おませな十六歳の乙女にとって、十二歳(満十歳)の少年なんてまだコドモコドモである。昼も夜も、何もおもしろみがない。それも美少年ならまだしも、肥満気味でやけに眉毛(まゆげ)の濃いボーヤなのだ。
 彦子はそんな「幼な夫」が嫌で嫌で仕方なかったに違いない。おもしろくなくて、意地悪の一つや二つや三つや四つもしたことだろう。
「ほんと、とろいわね! この、ガキンチョ! なんなの、その毛虫マユゲ!」

 一方、四条天皇のほうでも意地悪な彦子を好きにはなれなかった。四条天皇関係図
「お嫁さんと遊ばないの?」
「いやなものはいやなのっ!」
 で、いつも別のところで遊んでいた。

 幼いとはいえ、四条天皇にも好みがあったことだろう。少なくとも、意地悪な女は嫌いだったはずだ。
 優しい女性――。
 そういう女性を求めていたに違いない。年齢なんて関係なかった。ひと回りもふた回りも違うような女性でもよかった。とにかく優しくて、まあ、加えて美貌
(びぼう)であれば、文句はなかった。

 四条天皇の母・藻璧門院(そうへきもんいん)は彼が三歳のときに亡くなっていた。わずか二十五歳だった。
 評判の美人で、おそらく優しい人だったに違いない。四条天皇が、そんな母のような女性を求めていたのであろう。

「彦子め! 彦子め!」
 四条天皇は彦子にいじめられると、独りで鞠
(まり)をついた。恨みを込めて鞠をついた。つくというより、ぶちのめしているといったほうがよかった(「日韓味」参照)

「どうしたの?」
 殺気漂う四条天皇にだれも寄り付こうとしない中、一人だけ声をかける者があった。
 お付きの侍女の一人だった。名が伝わってないので、仮に「侍女P」としておこう。

 侍女Pはあらぬところへ飛んでいってしまった鞠を拾い、四条天皇に手渡した。
 四条天皇は無言で鞠つきを再開したが、すぐにつき損ない、またもとんでもないところへ転がっていってしまった。
「はい。どうぞ」
 侍女Pは再び鞠を取ってきてくれた。優しい笑顔だった。美しい笑顔だった。
 四条天皇はムカついた。
 今度は放り投げるようにしてわざと遠くへ鞠を飛ばした。鞠はてんてんと転がり、池に落ちてしまった。
 それでも侍女Pは鞠を取ってきてくれた。
 そして、四条天皇に覆いかぶさるようにその手を取って教えた。
「鞠はこうやってつくんですよ」
 四条天皇はぬくもりを感じた。
 でも、それに慣れていない彼は、居心地が悪くて暴れた。
「うっとうしい! あっち行けよ!」
 侍女Pは素直に言うことを聞いた。

 それからというもの、侍女Pは何かにつけて四条天皇に近づいてくるようになった。
 彼は彼女に対して不思議な感情を抱き始めていた。
(どうしてあの女はいつもボクに近づいてくるんだろう?)
 大人の女性には打算的な思惑があるんだということを、幼い彼がまだ気が付くはずはなかった。
(ボクのことを好きなんだ)
 単純にそう解釈した。
 しかし、相手が自分に好意を持っていると思うと、少年は変に意識し、言動がぎこちなくなり、妙なことを考えるようになるものである。

 あるとき四条天皇は、侍女Pが廊下で転ぶのを見た。
 四条天皇は吹き出した。同時に、おかしな感じを抱いた。
 彼は侍女Pが転倒する一部始終を目撃していた。
 一瞬、フワリと宙に浮いた侍女Pの身体――。
 予想だにしていなかった事態に口を大きく開けて驚く彼女のマヌケた表情――。
 すそを乱してしりもちをつく、なんかエロチックな転びっぷり――。
 自分のところに伝わってきた彼女の落下による振動――。
 「転んじゃった」照れくさそうに笑う彼女の笑顔――。
 何もかもが四条天皇にとって新鮮に思えた。
 そして、願った。
(もう一度、彼女が転ぶところを見たい!)

 しかし、侍女Pはなかなか転ばなかった。前に転んだ場所では特に用心して歩いているようで、どうにも転びそうになかった。
 四条天皇はおもしろくない。
(なんだ、つまんねえ)
 そんなとき、耳元で悪魔がささやいた。
(転ばなかったら、転ばしてやればいいじゃん)
 四条天皇は考えた。そして、いいことを思いついた
(悪いことだが…)

 翌朝、四条天皇は侍女Pがいつも通る廊下の板敷きに滑石の粉を塗り、よくすべるようにしておいた。
(これなら転ぶだろう)
 四条天皇は柱の陰に隠れると、侍女Pがやって来るのを待った。
 しばらくして、侍女Pは現れた。
 そして、四条天皇がワナを仕掛けた板敷きのところまでやって来た。
(転ぶぞ! 転ぶぞ!)
 四条天皇はワクワクした。
 が、侍女Pは何事もなかったかのように、ワナの上を通り過ぎていってしまった。
(なんだ)
 転ぶことを確信していただけに、四条天皇のショックは大きかった。
 侍女Pは柱に隠れていた四条天皇を見つけた。
「陛下、そんなところで何をされているんですか?」
「べっ、別にっ」
 四条天皇はごまかして逃げ出した。

 だれもいなくなってから、四条天皇はワナのところに戻ってきた。
「おかしい。絶対転ぶはずなのに」
 四条天皇は自分でワナの上を歩いてみた。ツルッとすべった。
(すべるじゃん!)
 四条天皇は転倒した。後頭部を強打した。
 痛かった。とても痛くて、泣いた。泣きわめいた。
 人が集まってきた。バラバラ周囲を取り巻いた。四条天皇は余計に激しく泣いた。
「どうしたんだ? 何があったんだ!」
「陛下がお転びになられたようだ!」
「早く、医者を呼べ!」
 侍女Pもやって来た。
「陛下! 大丈夫ですかっ!?」
 侍女Pは四条天皇を抱き上げた。侍女Pの胸の中は温かかった。四条天皇は幸せを感じた。でも、意識がうつろになってきた。もうろうとしてきた。
「陛下! しっかりしてください!!」
 侍女Pは泣いていた。
 四条天皇は思った。
 侍女Pが転ばなくてよかったと。彼女の代わりに死ねるのなら、本望だと……。
 四条天皇は満足そうに目を閉じた。そして、その目が再び開かれることはなかった。

[2002年5月末日執筆]
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