3.怖すぎるぜ三浦義意

ホーム>バックナンバー2008>3.怖すぎるぜ三浦義意

三浦家の一族
1.反抗するぜ三浦義同
2.しぶといぜ北条早雲
3.怖すぎるぜ三浦義意

 伊勢宗瑞による新井城攻めが始まってから三年が過ぎた。
 城内には千駄矢倉
(せんだやぐら)・弁天矢倉ほか巨大な食糧庫が数か所あり、ゆえに長い兵糧攻めにも耐えられるはずであったが、三年はちと長すぎた。すでに陸路も海路も宗瑞によって完全封鎖されており、物資がまったく入ってこなくなっていたのである。
 三浦道寸が三浦義意に聞いた。
宗瑞はまだ生きているのか?」
「はい。ヨボヨボと歩いているのを見た者がおります」
「何だとー!ヤツは今年で何歳だ?」
 三浦義意は計算した。
「八十四歳かと」
「それなのに、まだ生きているのかー!」
 同寸は怒り出した。腹が減ると気が立ってくるものである。
扇谷上杉家はどうした?」
 すでに宗瑞扇谷上杉家との講和は破綻
(はたん)していた。
「はい。扇谷上杉朝興
(ともおき)は玉縄城を攻撃しましたが、宗瑞にあっさり撃退されました」
「うぉー!相変わらず弱いのぉー!」
 道寸は嘆いた。
 義意は覚悟した。
「もはや打って出るしかないということです」
「いえ」
 近臣・大森越後守
(えちごのかみ)が口を挟んだ。
「まだあきらめるのは早すぎまする。いったん上総へ船で逃れ、再起を図るべきでございましょう。上総には義意様の岳父
(妻の父)武田信嗣(たけだのぶつぐ。上総真里谷城主)様がおられます。これに一縷(いちる)の望みをかけるべきかと」
 道寸は笑い飛ばした。
宗瑞ともあろうものが手を打っていないはずはない。見苦しく死ぬよりは、潔く散ったほうがいい」
「生きて生きて生きまくるのではなかったのですか!」
「死ぬ覚悟で戦えば、生きる望みも生まれてくるというものだ!待っても待っても死ななければ、わし自ら宗瑞にとどめを刺してくれるわ!」
 そこへ近臣・佐保田河内守
(さほたかわちのかみ)から報告があった。
「小田原軍に動きがありました。どうやら明日、総攻撃を仕掛けてくるようです」
「そらみろ。宗瑞は城内の兵糧が尽きたことを知っておる。明日は決戦じゃ!」

 その晩、道寸は城内の兵糧をすべて出し尽くして最後の宴会を開いた。
 彼の時世はこの時詠まれたものであろう。

三浦義意 PROFILE
【生没年】 1496-1516
【別 名】 荒次郎
【出 身】 相模国(神奈川県)
【本 拠】 相模国新井城(神奈川県三浦市)
【職 業】 武将
【役 職】 弾正少弼
【 父 】 三浦義同(道寸)
【 母 】 横須賀連秀の娘
【 妻 】 武田信嗣の娘
【主 君】 扇谷上杉朝良・朝興ら
【兄 弟】 三浦(正木)時綱ら
【部 下】 出口茂忠・大森越後守
・佐保田豊後守・佐保田河内守ら
【仇 敵】 北条早雲(伊勢宗瑞)・北条氏綱ら
【墓 地】 円覚寺寿徳庵(神奈川県鎌倉市)
新井城跡供養塔(三浦市)
【霊 地】 本瑞寺(三浦市)
居神神社(神奈川県小田原市)

  うつものも討たるる者もかはらけよ
   くたけて後はもとのつちくれ

 ちなみに道寸は古今伝授で知られる東常縁(とうのつねより。「領土味」参照)の門弟と伝えられている。

 永正十三年(1516)七月十一日辰の刻(午前八時頃)、道寸はこれでもかと城門を開け放たさせた。
「国盗人伊勢宗瑞を討ち取れー!」
新九郎氏綱
も血祭りに上げよー!」
「おー!」
 で、義意以下生き残った百余騎を率いて、全軍弾丸のように打って出たのである。
 小田原軍は驚いた。
「ウワー!こっちが攻める前に攻めて来たぞー!」
「血相変えて攻めてきたぞー!」
 捨て身の三浦軍の猛攻に、小田原軍は二町
(約二百二十メートル)ほど押し返された。
「ひるむなー!敵は小勢ぞー!」
 が、小田原軍は強兵である。
 多勢に無勢のため、程なくして三浦軍はまた押し戻された。
「大森越後守様、討ち死にー!」
「佐保田河内守・彦四郎様、討ち死にー!」
「三須三河守様もー!」
 悲報がますます道寸の六十六歳の老体を疲労させ、息切れさせた。
「ハァ、ハァ、不覚!わしは宗瑞よりも断然若いのにぃー!」
 そのとき、道寸に槍
(やり)を突き出してきた者がいた。
「小田原家中、神谷雅楽頭
(かみやかがくのかみ)、見参!」
 ぶすうっ!!
 道寸は刺されながらも、神谷の首をつかんで絞め殺した。
「お前が地獄を案内せーい!」
「お断りしますぅー!ぎゃーん!」

「道寸様、お討ち死にー!」
 義意は笑っちまった。
「あの父も死ぬことがあるんだな」
 父が死ぬと、義意の周りの敵はますます増えた。
「あとは荒次郎義意だけだー!」
「誰か討ち取って手柄にせーい!」
「そーら、お前が討ち取りに行けー!」
「言い出しっぺのあんたこそ行けぇー!」
 敵は次々と義意の周りを取り囲むものの、誰一人としてそれ以上接近する者はいなかった。
 なぜなら超巨漢の義意が怖いからであった。
 身の丈七尺五寸というから身長二百三十センチ弱、戦国史上最高、日本史上最大級の大男である。
 当時は男でもみな百四十〜百五十センチ台だったため、敵からすればこの高さはちょっとした小山であった。その上、八十五人力の大力とうわさなのである。
「うわー!近づけば近づくほどでかいぜー!」
「当たり前だ。もっと近づいて組み伏せろ!」
「押すな!やれるもんなら貴様がやってみろ!」
 怖気づいている敵たちを見て、義意はじれた。
「早く誰かかかってこいやー!」
 ついに勇気ある敵が現れた。
「わあ、ボクは行くぞう〜。みんな、ボクに続いてくれぇー!」
 小田原軍はしぶしぶ義意一人に向かって突撃した。
「よしきた!みんなでかかれば怖くないぞー!」
「八十五人力の男だって、八十六人がかかれば勝てるんだー!」
「それ行けー!みんな続けー!」
 義意はニヤリとした。
「そうこなくっちゃ」
 で、かついでいた樫
(かし)の大木を振り回しにかかったのである。
 ブーン!
 ドカッ!
「ぎぇーん!」
 ブーン!
 バカッ!
「いたーい!」
 ブルンブルン!
 ビターン!ボカーン!
「あれーん!」
「飛んでくーん!」
 ブルンブルンブルン!
 義意の大木は、おもしろいほど群がる敵をなぎ倒し、ぶっ飛ばしていった。
「それーい!それーい!あの世への団体旅行へ御招待!五名様!十名様!二十名様!まとめてドーン!!」
 スガーン!
 ボカーン!
 デカーン! 
「ぎゃーん!」
「ひーん!」
「ぐわーん!」
 小田原軍は散り散りになった。
「何をしている!遠巻きして討ち取れー!」
 ピュンピュンピュン!
 今度は無数の矢の雨が義意に襲い掛かった。
 これには義意も対処できず、
 プスプスプス!
 何本か刺さってしまった。
「卑怯
(ひきょう)なり!」
 義意は弓隊に突進していったが、
「わー!逃げろー!」
「接近戦はいやー!」
 ピュンピュンピュン!
 ブスブスブサリ!
 逃げながら矢を射り続けたため、義意の矢傷は増えていく一方であった。
「おのれ!」
 さすがの義意も弱ってきた。
「それー!もう少しだー!」
「義意は鈍ってきたぞー!」
「もっともっと矢を放てーっ!」
 ピュンピュンピューン!
 ブスブスブスーン!
「おのれ……」
 義意は刀を抜いた。
 五尺八寸もある岡崎正宗の大太刀であった。
「おれは死なぬ!決して死なぬぞ!おれは生きるんだーっ!!」
 取り巻く敵はあざ笑った。
「もう無理じゃねーの?」
「おーおー、この状態であきらめが悪いこと」
「黙れー!おれは死んでも生きるんだーっ!!」
 取り巻く敵はますます笑った。
「死んでも生きるってよ!」
「ブハハ!なんだそれ!」
「意味がわからねーよ!」
 義意は自分の首に刃を当てた。
「意味がわからなければ教えてやろう!死んでも生きるとは、こういうことだーーっ!!!」
 義意は勢いよく首を切った。
 じゅば!
 シュッポーーーーーーン!!
 あまりに一気に切ったために、首は血を噴いて空高く舞い上がった。
 ヒューーーーーーーーン!
 首は高く高く空高くロケットのように飛んでいくと、キラリと一度星のように輝いて見えなくなってしまった。

 取り巻いていた敵は唖然(あぜん)とした。呆然(ぼうぜん)とした。そして、驚き騒いだ。
「す……、すげー!」
「信じられねー!」
「落ちてこないぞ!いったいどこまで行っちまったんだー!?」

 義意の生首は遠くへ遠くへ飛んでいった。
 はるかかなたの小田原城まで飛んでいき、城下の松の木にブスっと刺さった。
 飛行距離約四十五キロ。かの平将門の生首といい、坂東武者の首はよく飛ぶらしい
(「生首味」参照)

 こうして三浦氏は滅んだが、凱旋(がいせん)した小田原軍を義意の生首が待っていた。
「お帰り〜」
 とは言うはずがないが、小田原軍の兵たちは驚いた。
「ゲ!なんだあれは!」
「生首じゃねーかー!」
「どっかで見た顔だな」
「そうだ!あんなでかい顔はアイツしかいない!三浦荒次郎義意の生首だ!」
 兵たちは動揺した。
「どうしてあんなところに義意の生首が?」
「うわっ!こっち見よった!にらみやがった!」
「ハハッ!そんなはずはない。それにしてもスゲー形相だ。コワッ!」
 兵たちが騒ぎ出したのを見て、宗瑞が不思議がった。
「何を騒いでいる?」
 氏綱が答えた。
「誰かが松の木に義意の首を掲げたのですよ」
「何のために?」
「さあ?」
「義意を討ち取ったのは誰じゃ?そいつのイタズラであろう」
「それが、義意は自分で首を切り、誰も討ち取ってないとのこと」
「自害したところで誰かが首を取ったはずじゃ」
「いえ、家来どもの話によれば、義意の首は切られた弾みで空高く飛んでいき、そのまま見失ったとのこと」
 宗瑞が義意の生首を指して言った。
「その見失った首が、あんなところにあると……」
「はい」
「プッ!おかしなこともあるものじゃのう」
 宗瑞は生首を見て笑ったが、直後、笑えなくなった。
「にらみやがった……」
「え?」
「いや、何でもない……」

 義意の生首はそのまま放っておかれた。
 そのため、家来が登城するたびに生首の前を通らなければならなかった。
「ゲッ!まだある〜!」
「相変わらず怖いよー!」
「早く誰か片付けてよー!」
 氏綱宗瑞に聞いた。
「生首、取り除かないんですか?」
「三浦を滅ぼした記念だ。放っておけ」
「でも、みんなすごい怖がってますよ」
 そこで宗瑞は家来に首を取らせようとした。
 するとその家来は、木から落ちて死んだ。
 そこで別の家来に取らせようとしたところ、怖がって蒸発してしまった。
「まあよい。そのうち腐ってドクロになり果てるであろう」

 が、生首は腐らなかった。
 どういうわけか、いつまでもナマであった。
 何か月たっても、一年二年過ぎても、なぜか二十一歳で死んだままのピチピチうるうるお肌のままであった。
「なぜなんだぁー!?どうして腐らないんだぁー!!」
 生首を見るたびに、通行人は煩悶
(はんもん)した。
 恐怖のあまりショック死してしまう者まで現れた。
 特に夜道で見る怖さは、これまた格別であった。
 永正十六年(1519)八月には、隠居して伊豆韮山
(にらやま。静岡県伊豆の国市)に避難していた宗瑞まで死んでしまった。享年八十八(異説あり)
「義意にたたり殺されたのだ」
 そういうものを信じない氏綱も気味悪かった。
 何より三年たってもいまだにヒチピチの生首が気持ち悪すぎた。
 夢に出てくることもあった。それも一度や二度の話ではなかった。
「今度はわしの番だというのか……」
 たまりかねた氏綱は、一人の僧を呼んだ。
 かつて道寸が出家した総世寺の住職・忠室
(ちゅうしつ)であった。
「供養を頼む」
「わかりました」
 忠室は義意にも師のような存在であった。
 忠室は義意の生首を訪れた。
 旧知の和尚を見て、生首はニッと笑ったように思えた。
「あわれな」
 忠室は、熱心に経を読み始めた。
 そして、こんな歌を手向けたのである。

  うつつとも夢とも知らぬ一眠り 浮世の隙を曙の空

 すると生首は、一瞬にして腐り果ててドクロと化したという。

[2008年3月末日執筆]
参考文献はコチラ

※ 北条早雲の生年については、康正二年(1456)説が出てきました。その場合、この物語では「二十四歳もサバを読んでいた!」という解釈にならざるをえません。
※ 新井城落城時、道寸の一子・時綱
(ときつな)はひそかに落ち延び、房総正木氏の祖になりました。徳川家康の側室・於万(おまん)はその子孫だそうです。
※ 新井城の出城・三崎城を守っていた出口茂忠
(でぐちしげただ)は戦後北条氏に仕えました。その孫・茂正(しげまさ)は天正十八年(1590)の北条氏滅亡を見届け、三浦浄心(じょうしん)として『北条五代記』を執筆したといいます。

歴史チップス ホームページ

inserted by FC2 system