3.禁断の行為

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日本餅史
1.強欲な長者
2.川水の代償
3.禁断の行為

 その日以来収穫まで、百姓たちには地獄の日々が待っていました。
「働け! もっと働け!」
「ああ、疲れた」
「死にそう〜」
「ちょっと休もう」
「休むな! 死ぬ気でやれば何でもできる!」

 その年は賀茂氏から水を分けてもらったおかげで豊作になりました。
 稲刈り後、秦家では祝いの餅がたくさん作られました。
 百姓たちは喜びました。
「さすがに今回は長者様もたくさんの餅を配ってくれるんだ」
 みな一様にニコニコしていました。

 でも、百姓たちに配られたのは、例年よりほんの少し多いわずかな餅でした。
 百姓たちは不満でした。
「どうして? あんなにたくさん餅を作ったのに〜」
「少なすぎる〜」
「がっかりだよ!」
 伊侶具が言いました。
「ぶうたれるな。お前らにはそれだけやれば十分だ」
 百姓Kは聞きました。
「では、あそこにたくさん並べてある餅はどうするんですか? 後でまた下さるんですか? あんなにたくさん長者様一家だけでは食べきれないでしょうに」
 伊侶具は答えた。
「あれは遊ぶのだ」
「遊ぶ?」
「そうだ。弓矢の的にして遊ぶのだ。あれは食べ物ではない。おもちゃなのだ」
「そ、そんな……」

 伊侶具は弓矢を持ってこさせました。
 そして、餅めがけて矢を放ったのです。
 ヒューン!
 矢は餅の真ん中に命中しました。
 ぷちゅん!
 変な音が周りに飛び散りました。
 伊侶具は笑いました。
「聞いたか? なんてマヌケた音だ!」
 伊侶具は次々と矢を持ってこさせました。
 そして狂ったように片っ端から餅めがけて矢を射たのです。
 ヒューン!
 ぷちゅん!
 ヒューン!
 ぷちゅん! 
 ヒューン!
 ぷちゅん!
「ハハハ! 愉快だ!」
 タギ姫とタゴ姫も喜んで寄ってきました。
「おもしろそー」
「私もやるー」
 二人の娘も一緒になって矢を射始めました。
 ヒュン
 ぷちょん!
 ヒュン
 ぷちょん!
「キャハハ!」
「まじやばー!」

 百姓たちはうらめしそうに次々に餅に矢が刺さる様子を見ていました。 
(私たちが作った餅が……)
(来る日も来る日も精魂込めて育てた稲で作った餅が……)
(これだけ作るために、どれだけしごかれたことか……。苦労したことか……)
 うつむく百姓がいました。
 泣き出す百姓もいました。
 悔しさのあまり地面をたたく百姓もいました。

 百姓Kは伊侶具に懇願しました。
「お願いです。私にも餅を射させてください」
 伊侶具は御機嫌だったので、快く承知しました。
「そうか。お前たちもやりたいか。よし、みんなに弓矢を配ってやれ。今日は祭りじゃ! 無礼講じゃー!」

 百姓Kは餅をめがけて弓を引き絞りました。
 と、思ったら突然振り返って矢を放ったのです。
 ヒューン!
「ああ、手が滑った! ごめんなさーい!」
 プス!
 矢が刺さったのは、伊侶具の額でした。
 伊侶具はおののきました。
「お、お、お、お前……、なんてことを……」
「ああ、長者様があまりに太っていたので、餅と間違えちゃったんですよー」
 百姓Kは勢いよく矢を抜き取りました。
 血が打ち上げ花火のように爆発的に噴き上がりました。
「お、おのれ……、わざとだろ……」
 どう!
 伊侶具は倒れました。しばらくピクピクした後、動かなくなりました。
 百姓たちは歓声を上げました。
「そうじゃ。今日は無礼講じゃー!」
「おらもやるぞ!」
「おおー、こんなところに動く餅が二つあるぞー!」
 それは餅ではなく、タギ姫とタゴ姫でした。
 ピューン!
 ピューン!
 ブス!
 ブス!
「違うー!」
「餅はあっちー!」
 ブスブスブス!!!
 ブスブスブス!!!
「痛いよ痛いぃー!」
「もー、なんでこうなるのぉー!」

 百姓たちは暴徒と化しました。
 館も蔵もぶっ壊され、秦家は大混乱になりました。
「餅はおれたちのものだー!」
「米も残らずおらたちのものだー!」
「蔵を壊せー!」
「財宝も全部かっぱらえー!」
「もとはといえば、みんなみんなおれたちのもんやー!」

 こうして秦家はめちゃめちゃにされ、没落しました。
 このことが後に「餅が鳥になって飛んでいった」逸話になったのでしょう。

 奈良時代、伊侶具の子孫・秦中家(なかいえ)が先祖の過ちを悔いて稲荷山(京都市伏見区)に祠(ほこら)を建てました。
 これが現在日本全国に三万社以上ある稲荷神社の総本社・伏見稲荷大社になったのだと伝えられています。

[2006年12月末日執筆]
参考文献はコチラ

※ 文献によっては稲荷大社の創始者は秦伊侶具になっています。

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