2.地獄かー! | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2020>令和二年2月号(通算220号)猛威味 北野天神縁起絵巻2.地獄かー!
|
藤原穏子は国母である(「藤原北家系図」参照)。
故先帝・醍醐天皇(「取違味」等参照)の皇后であり、今上帝・朱雀天皇の生母であった。
故関白・藤原基経(「スト味」等参照)の娘であり、故左大臣・藤原時平(「受験味」等参照)の妹でもあった。
今日は住んでいる五条院(ごじょういん。京都市下京区)から内裏(だいり。京都市上京区)へ牛車でお出かけである。
「地獄から帰ってきた僧が、おもしろい地獄の話をしてくれるそうな」
興味津々であった。
一刻も早く話を聞きたいのに、なぜか牛車が止まってしまった。
「どうしたのじゃ?」
牛飼童(うしかいわらわ)が答えた。
「物乞いどもに進路を阻まれました」
「退かせなさい」
「何かくれるまで動かないそうです」
「貧乏人どもにくれてやるものなど何もありません。蹴散らしなさい!」
「了解」
ボカン!
ドカン!
バカーン!
車副(くるまぞい)たちが物乞いたちを殴ったり蹴ったりする音が聞こえた後、牛車は再び動き始めた。
穏子が外をのぞいてみると、泥にまみれてうっぷしてにらんでいる薄汚い少女が見えた。
穏子は愉快になった。
「オホホホ! まるでボロ雑巾(ぞうきん)のようね。いい気味だわ!」
穏子が内裏に着いた時、朱雀天皇はすでに待っていた。
「母上、遅いですよ」
「ごめんごめん。ちょっとゴミ掃除をしていたから」
「ゴミ掃除?」
「いえ、こっちの話。それより地獄帰りの僧ってこの人?」
「です」
地獄帰りの僧は自己紹介した。
「初めまして。道賢(どうけん)と申します」
後に日蔵(にちぞう)と改名する真言宗僧である。
朱雀天皇が追加情報をささやいた。
「かの善相公(ぜんしょうこう。三善清行)の弟だそうですよ」
「あら、あの菅家と対抗した清行の弟でしたか。だったら浄蔵(じょうぞう)の伯父ですわね」
道賢は清行の子だと説もあるが、それなら浄蔵の弟になる。
「――で、地獄はどうでした?」
「それはそれは恐ろしゅうございました」
「でしょうね」
朱雀天皇が口をはさんだ。
「そもそもどうして地獄へ落ちたのですか? そして、どうやって帰ってこれたのですか?」
「理由は分かりません。分かりませんが、拙僧は金峰山(きんぷせん。奈良県。「熊野味」参照)で修業をしておりました。無言断食という過酷な荒行です。どうやら空腹に負けて飢え死にしてしまったようです。天慶四年(941)八月一日午の刻でした」
「ほう、それで地獄に」
「それからどうなりました?」
「拙僧の前に執金剛神(しゅうこんごうじん・しっこんごうじん)の化身と名乗る僧が現れ、『会わせたい人たちがいる』というため、彼についていきました。すると、鉄窟苦所(てつくつくしょ)というおぞましい公開処刑場みたいな所で見知った人と出くわしました」
「見知った人?」
「誰ですかそれは?」
「日本太政威徳天(にほんだじょういとくてん)です」
「はあ?」
「そんな人、聞いたことありませんが」
「日本太政威徳天はこうおっしゃいました。『予は生前流した涙で日本列島を沈没させ、八十四年後、その海上に城を築くであろう』と」
「だから、誰なんですかそれ?」
「ニホンダジョーナントカなんて知らんて!」
「知らないはずはありません。生前は、菅家、菅公、菅丞相、すなわち、菅原道真と呼ばれていた人ですから」
朱雀天皇の恐怖は瞬時に沸騰した。
「みっ、みみっ、みちざねーーー!」
「いやーーー!!」
穏子は悲鳴を上げて耳をふさいだ。
朱雀天皇は泡を吹き散らかして責めた。
「お、おい! 朕はおもしろい話と聞いたので来たのだ! それなのに何だ! 道真だとー! そんな話、おもしろいわけないではないかっ! 父を死に追いやった悪霊の話など聞きたくないわっ!」
「ですか。それではおいとまさせていただきます。陛下のお父君の近況も話して差し上げたかったのですが」
「死んだ父に近況などあるものかっ!」
「いいえ。あなた様のお父君は、今でも鉄窟苦所(てつくつくしょ)にて鬼たちの責め苦を受け続けておられます。そのお父君から言づてを頼まれていたのですが、お聞きになられたくないようなので残念です。もはやお目にかかることもありますまい。それではさようなら」
「待て!」
立ち去ろうとした道賢を朱雀天皇は呼び止めるしかなかった。
「――父の言づてとは何か?」
「お父君はこうおっしゃられました。『朕――、いや、私は生前、寛平帝(宇多天皇)の子の延喜帝であった。私には在位中、五つの重い罪があった。中でも無実の道真をおとしめた罪が最も重い。そのため私は長い間、このようにして地獄の鬼たちによって殴る蹴るの暴行を受け続けている。私を永遠の苦しみから救う方法はただ一つしかない。どうか私の代わりに道真の霊に謝り続けてほしい。誠心誠意、贖罪(しょくざい)してほしい。頼む。この通りだ。助けてくれ〜』 お父君は灼熱(しゃくねつ)の灰の上で土下座なさいました。拙僧が『陛下ともあろうお方がおやめくださいませ!』と、平伏してから起こそうとすると、お父君はこうおっしゃられました。『私はもう陛下ではない。地獄に貴賤はないのだ。地獄では罪がない者が主なのだ。重罪人の私を敬うでない』
お父君の隣では時平公が暴行を受けていました。お父君はかろうじて衣を着ておられましたが、時平公は素っ裸で鬼たちにいたぶられてギャーギャーのたうち回っておりました。拙僧は涙が止まりませんでした。帰り際、金峰菩薩が教えてくださいました。『日本では道真のしもべたち十六万八千の邪神が暴れ回っている。たとえば清涼殿での落雷死傷事件(「入試味」参照)は《火雷天気毒王(からいてんきどくおう)》の仕業だ。無論、延喜帝が地獄に落ちたのもだ』 拙僧が蘇生したのは八月十三日のことです」
「……」
朱雀天皇は言葉を失ってしまった。
「おいたわしや……」
穏子はよよと泣き崩れてしまった。