3.託宣んー!

ホーム>バックナンバー2020>令和二年2月号(通算220号)猛威味 北野天神縁起絵巻3.託宣んー!

武漢コロナ猛威
1.柘榴ぶー!
2.地獄かー!
3.託宣んー!

 陽成上皇は先々々々帝である。
 四代前の天皇ともなると、もうすっかり世間から忘れられた存在になっていた。
「おかげで自由に出歩けるようになった」
 天慶五年(942)、陽成上皇は五十九年目の隠居生活を満喫していた。
 本日も牛車でちょっくらお出かけである。
 なのに出立してまもなく、なぜか牛車が止まってしまった。
「どうしたのか?」
 牛飼童が答えた。
「物乞いに進路を阻まれました」
「退かせなさい」
「何かくれるまで動かないそうです」
「あいにく持ち合わせがない」
「蹴散らしますか?」
 陽成上皇は外をのぞいた。
 薄汚い少女がにらみつけていた。
(目つきが悪いな。性格も悪いんだろう)
 陽成上皇は思ったが、考え直した。
(――人を見かけで判断してはならない。他人の評価も信じられない。信じられるのは自分だけだ。自分で確かめもしてない人を評価する資格はない)
 陽成上皇は車を降りた。
「少し、あの娘と話をしたい」
「ボロ雑巾のような孤児ですよ」
 車副が止めたが、陽成上皇は構わず薄汚い少女に寄って聞いた。
「家はどこ?」
「ない」
「名前は?」
「ない」
「名前もない?」
「ないけど、みんなはアヤコってよんでる」
「アヤコ?」
「うん。怪しい子だからアヤコ。えへへ!」
「漢字はどう書くの?」
 アヤコは渡された懐紙に「奇子」と書いた。
「へー、漢字、書けるんだね〜」
「うん。いまはこんなんだけど、センゾがエライヒトにつかえていたから」
「エライヒトって誰?」
「うちのひいおばあちゃん、カンコーってヒトのウバ
(乳母)をやっていたんだって」
「カンコー……」
 陽成上皇は目を見開いた。
「菅家! 菅公!! 菅丞相!!! 君はあの、今は亡き右大臣菅原道真殿の身内なのか!?」
「うん。うちのひいおばあちゃんもアヤコ。タジヒノアヤコ
(多治比文子)。カンジはちがうけどね」
 奇子は懐から神像を出して見せた。
「これ、ひいおばあちゃんにもらったの。カンコーってヒトがほったんだって」
「あの道真殿が……」
 陽成上皇が神像に手を伸ばそうとすると、
「あげない!」
 奇子はサッと懐にしまってしまった。
 陽成上皇は泣いた。
「あの朕の恩人の道真の身内が、こんな薄汚いザマに……」
「同情はいいから何かちょうだい!」
「おおお……!」
 陽成上皇の号泣は止まらなくなった。
 彼は曇った少女の頭をなでた。
「いいことを思い付いた。君はもう、人から物をもらわなくてもよくなる」
「どういうこと?」
 陽成上皇は車副に命じた。
「この娘のために巫女
(みこ)の衣装を取り寄せよ」
 車副は渋った。
「お言葉ですが、こんな薄汚い少女を巫女にしようとしたところで雇ってくれる神社はありますまい」
 陽成上皇は言い切った。
「ないのなら、つくればいいだけだ」

 天慶五年(942)二月十二日(または四月)、多治比奇子という巫女が神がかりになり、菅原道真の託宣が下った。
「予は日本太政威徳天、天満大自在天である! 予が生前足しげく通っていた北野の右近の馬場
(「無礼味」参照)に予を祭る社を建てよ!」
 しかし、この時は「用地買収」できなかったのであろう。
 代わりに多治比文子が生前住んでいた七条坊門に文子天満宮
(京都市下京区)が建てられた。

 天慶十年(947)三月十二日には、近江の比良宮(滋賀県大津市)の神官を務める神良種(みわのよしたね)の子・太郎丸(たろうまる)七歳にも託宣が下った。
「予は日本太政威徳天、天満大自在天である! これから予が住みつくところにたくさんの松を生やす! その地に社を建てよ!」
 調べてみると、北野の右近の馬場が松林になっていた。
「ここに違いないわ!」
 奇子は断じた。
「ですよねー」
 良種も同じた。
 二人は北野にあった朝日寺に住む最珍
(さいちん。最鎮)の協力を得て社殿を造営した。
 これが後世に北野天満宮
(京都市上京区)になったという。

[2020年1月末日執筆]
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参考文献はコチラ

 ※ 多治比奇子は多治比文子の別名とされていますが、年代が違うため、この物語では別人としました。 

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